01




躊躇った末にメッセージを送信したら、数分も経たぬ内に着信を知らせる画面が浮かび上がった。

『えーまじ!? すごい、なんでそんな事になってるの?』

久しぶりと交わしたのち、互いの学校や近況報告に花が咲く。話題が六角中の収穫祭へ移った所で誤解を生まないよう慎重に話し、鼓膜に響く音量で返された。
文字でのやり取りは僅かながらしていたので現状を全く知らない訳ではなかったが、電波に乗った声を耳にすると何か懐かしい。
転校先は勿論、彼氏とも上手くいっている様子の親友は息ごと弾ませて続ける。

『いいな、いいなぁ、私佐伯君と同小だったのにちゃんと話した事一回もないんですけど? ずるい、!』
「クラス一緒じゃなかったの?」
『五、六年生の時は一緒だったかな』
「じゃあ話した事くらいあるでしょ」
『もー、ちゃんと話した事はって言ったじゃん! 挨拶とか先生から言われた事伝えるとかはあったけど、みたいに仲良くなってないんだよー』
「仲良く……」
『え、いいでしょ? 収穫祭のご飯だって一緒に食べたんだから』
「それは事情があったからで、あと佐伯くんとだけじゃなくてテニス部混ぜて貰っただけで」
『あーあ、私も収穫祭したかったよー』
「人の話聞こう!?」

一人で話を進めないで欲しい。自己流の解釈をされても困る。

の班はさつまいもとかぼちゃだっけ』
「うん。そっちは」
『じゃがいもー。あとちょこっとだけ落花生も?』
「彼氏持って来てくれたんでしょ。こないだの日曜に。わざわざ!」
『じゃあもういいじゃんとか言うの禁止! がずるいって事に変わりなし! 私たちの作戦中に会ったとかほんとずるいよ。私だって佐伯君とお話ししてみたかった』
「それは……ごめん。見つかるつもりなかったんだけど、偶然会っちゃったの」
『ふっふっふーいいよ? 進展あったら私のお陰って肝に銘じといてくれればねえ?』

電話越しにもテンションの上がりっぷりが伝わり、私はいよいよ本格的に困惑してしまう。
言わなきゃよかったか、と自らの選択ミスを悔やんだ直後、今更過ぎると断ち切った。
どうしてか頼りなく震える喉を絞って発する。

「進展って何」
『え? 収穫祭でなんか起きなかったの。てか起きそうなんじゃないの?』
「起きないよ……起きそうにないし。なんにもない!」
『そーなのー? つまんないー!』

他人事だと思って勝手だ。
だけど以前の彼女のままだから心の距離は意外と離れていない、私はほっと溜息をついて笑った。

『うーん、じゃー佐伯君は置いといてはどうなの? かっこいいとか付き合いたいとかないの?』

緩んでいた頬が一気に強張って噎せる。
予想だにせぬ方向からの剛速球が鳩尾を直撃した気分だ、ぐっと詰まった息の行き場を探していると、もしあるなら私も協力するからね、と意気込んだ音に胸を打たれ、お陰で平静を取り戻す事が出来た。
何ヶ月間か一人で過ごす機会の多かった私にとって、一番の友達はとても大事なもの。

「確かに佐伯くんはかっこいいし優しいよ。けど別に、私だからっていうのはないじゃん? みんなに優しい人だもん」

彼と一緒に辿って来た時間をあえて意識の隅へ追い遣り、お腹の近くでぼやける感情を掬って一つ一つ整理していく。
佐伯くんが私を呼ぶ声、きらきらの笑顔、包むような眼差し。
陽に透けた髪の色と歯ぎしりするほど通った鼻筋に、プロが整えたような眉や、向き合う人を強く射抜いておきながら目元は穏やか且つ涼しげで、と数えていけばきりがない。
容姿端麗の四字熟語がよく似合う人の背中を思い出す。
からかう要領で後をつけても気付かなかった日や、奇襲戦法を取った私の武器とは呼べない武器を掴みバレバレだと笑った時、特急列車並の速さで行ってしまうTシャツの赤、次から次へと蘇った。

「だから人気あるんだよね。そりゃ前からモテる人だってわかってたけど、普通に話すようになって超思い知ったよ」

横向きの顎の角度。
筋が浮き出た首には喉仏が隆起していて、肩口で汗を拭う仕草がいかにも大雑把な男子らしいのに女子の何名かは色めき立つ。
テニス部の体格の良い人と比べたら佐伯くんは細身かもしれないけど、隣に立つと大概の女の子より背が高く、鍛えられた腕も無駄なく逞しくて、掌は完全に私と違う異性のつくりだ。
心臓の裏がじんわり温まる。
いつも通り酸素を吸って吐いていても、別の何かが積もり籠もっていくみたいだった。
じっとしていられない。布団の上へ何気なく放り出していた手を握り、親指で人差し指の横を何度もさする。
私の利き手は右で、佐伯くんは逆。
今気取られるべきではない余所事に振り回されながら、伸ばした足を引き寄せ抱えた。
これはなんだろう、内心首を傾げ、強いて言うなら緊張感に近い、気付く。
やたらと唇が乾く所為で上手く滑ってくれない。

「そういう人と付き合いたいって思うの、大変じゃない? だってほとんど、ううん絶対叶わない事のが多いじゃん。辛いよ、……多分」

壁に掛かったカレンダーの十一月という表記を目にし、次の学校行事まで幾何もないと考えるでもなく考えた途端、代打出席した委員会で繋がった後輩の言葉が脳内を駆け巡っていく。
収穫祭のアクシデントに泣きそうになっていた子が告白したいと頑張っていて、私達が付き合っているんじゃないか、でなかったとしても佐伯くんは私の事が好きなのでは、とても気に病んでいるから、とおずおず窺って来た表情が消えない。
ないない、有り得ない、即座に否定した瞬間の、何とも言えぬ舌触りやせり上がる細かな感情の粒もずっと残ったままだ。
自分でもうんざりするほどしつこく繰り返す。
何でもない事、これくらいは普通、特別な意味なんてないんだ。
相手を見てあからさまに態度は変えたりせず、輪の中心で笑う彼の人となりを、さながら牛の如く反芻し刻み付けた。
夏の前から始まり今まで続く佐伯くんとの時間へ染まらぬ色を塗り重ねる。呪いめいて重いが、この際ちょうど良い。

『ううーん…まっ、そーかもね。てっか佐伯くん彼女いないんだ?』
「いないんじゃないかな……わかんないけど」
『なにそれ、とりあえず最初に聞くよね? 彼女いるのって!』
「聞かないよ!」
『うそー私そっこー聞いちゃった』
「度胸すごくない?」
『好きな人にはね』

語尾にハートマークの一つや二つ付いていそうな物言いだ。

『好きじゃなくても私なら聞いちゃうかもなー。佐伯くんって彼女いるのってさ。今度聞いてみてよ』
「えっ!? やだよ、なんでよ!」
『だって気になるよー。あんだけイケメンなのになんで彼女いないのとか、好きな子いるのとかさあ』
「なんか佐伯くんのファンの子みたいだね」
『あは、近いかも!』
「近いんだ」
『六角一、んーん千葉で一番かっこいいし』
「そんな事言っといて、佐伯くんより彼氏が好きでかっこいいって思ってるんでしょ?」
『えっへー! それは当たり前だよー!』

ふにゃふにゃと崩れる声色が柔らかく、直接会っていないにもかかわらず惚気たオーラは肌に染み、緩み切っているであろう顔付きも容易に想像がつく。
あてられたと怒るべき場面のはずが、憤慨の欠片も沸いて来ない。私も私で毒されているのかもしれないとぼんやり思う。

『佐伯君へのかっこいいはアイドルとかー芸能人みたいな感じ!』

昨日のドラマに出ていた俳優が好き、といつかはしゃぎ語った声音で同学年の男子を褒め称えられ、用意していた返しを不意に失くしてしまう。
でも、と言い掛けた唇の形に違和感を覚えていても引き取る事が出来なかった。
(佐伯くんは結構雑なとこもあるんだよ)
私だって似たり寄ったりの褒め言葉を散々繰り返していたくせして、胸の中身が矢継ぎ早に否を唱える。
素足に砂が付いていてもお構いなしにスニーカーを突っ掛け、脱いだ靴下はどうするのかと思えば丸めてポケットへ押し込み、好き放題に吹く風になぶられ煽られボサボサになった髪も直さない。
始業前や昼休みの間にテニスコートへ出て行き、戻って来たと思ったら制服のシャツのボタンを三番目くらいまで開け放っていて、酷い時は体育用のTシャツに着替えていたり。
朝、通学路でばったり会って寝癖を発見する。
ぴょんと跳ねた毛先が可愛くもありおかしくもあり、込み上げる温かな気持ちを抑え切れず指摘すると、一笑。
ありゃ、バレたか。
私に降る声や左手で頭の後ろを掻く仕草は照れ臭そうだ。こういう隙を勝負の最中に見せてくれればいいのに、内心呟き並び歩いて、風に吹かれている内に直るかなと思ってさ、などと適当極まりない続きを寄越されちょっと呆れた。
まさかに会っちゃうとはね。
はにかんだ笑顔が朝の健やかな陽射しを浴びて輝いている。海の音が近い。
思い出す為の時間も不必要なくらい鮮明だった。

電話の向こうに届かないで、と念入りに静々と息を吐く。
上手く言えないけど、佐伯くんはお仕事としてつくられた姿形なんかしていない、画面越しでしか知らない人じゃなくて、傍にいる同い年の男の子なんだ。
小学生の時だってすごく人気があってね、熱弁する友達に待ったをかけようとして止めた。水を差したくなかったというよりは黙っておきたい気持ちが強い。
他者との間に壁がない、さっぱりとして気さくな人だと広く知られるのは良い事のはずが、なんとなく――本当になんとなくとしか表現出来ない小さな弾みに喉を詰まらせてしまう。
(……もしかして)
おぼろげながらもふと浮かんだ解を掴む。
以前のよう細かな連絡を取らず、一から十まで話さなくなったのは、大切な存在があったからではないだろうか。
誰にも言いたくない。
自分だけの秘密にしていたい。
強烈な独占欲とは違った、でも少し後ろめたい気もする、不思議に揺れる心。
好きな人以外の全てを置き去りにしどうでも良くなってはいない、まして忘れた訳でもなく、単に想う気持ちが唇に宿り別の形を取るのだ。
言わずもがな私と友達とではそれはもう色んな部分で大差があって、まるきり同じだなどと微塵も思っていないが、一人で勝手に黄昏ていた秋より寂しさは薄れていた。むしろストーカーめいた行いに走った日々に比べ、今の方が遠ざかる距離に思い悩む事なく共感を抱いているのではないか。
いや、そんな、私は佐伯くんの事そういう意味で好きじゃないけど!
慌ててかぶりを振った所で、あごめんご飯呼ばれた、聞き慣れたフレーズが耳に触れる。彼女の家は夕ご飯の時間が遅めなのだ。夏までは言われるまでもなく把握し、決まった時刻に合わせて電話したり、ある程度話す内容を決めていたりもしたのだが、そういった長年の習慣が抜けつつある。
良い事なのか悪い事なのかは判断がつかない。
寂しいと言えば寂しいし、ずっと一緒にいた頃と少しずつ何かが変わっていくのは当たり前なのかもしれないとも思う。
かといって大事じゃなくなったんじゃない、本当によくわかるから、友達が陸上部の彼に取られた心地には陥らず、離れて生活していても大丈夫なのだ。
またねと軽く交わす。
うちの彼氏にも佐伯君に彼女いるか聞いてみる、露見した密かなこだわりに笑って通話を終えた。
通話終了と記される画面を前に、崩し始めていた足を再び抱えてみる。
遠くから甲高いクラクションの音が伸びて来、窓ガラスとカーテンを一秒だけ小さく震わせていた。



心配してたんですよと泣きそうな後輩に謝った後託された届け物を渡し、何度も頭を下げる収穫祭実行委員の子に手を振って、慌ただしさに飲まれる本部を後にした。
途中、事情を知っているクラスメイトとすれ違う度にねぎらいの声をかけられたが、結局は無駄足だった為素直に受け取っていいのか迷って、判断ミスの範疇に当てはまる己の行動が恥ずかしくもあり、曖昧に笑って称賛を辞退する他ない。
ひとまず更衣室のロッカーへ赴き、必要ないかなと置いて来た携帯端末を手に取ると、クラスの何人かの生徒や友達からメッセージが入っている。
所在を尋ねるものやお昼なくなっちゃうけどと心配するもの、サエが追っかけてったよと知らせてくれるもの、順に確認していった結果、ストレートに落ち込んだ。暴走行為にもほどがある上、迷惑しか掛けていないのではとさえ感じる。
小さな親切大きなお世話。悲し過ぎる文言に脳天をぶたれ両肩は下がる一方、人助けなんて夢のまた夢だ。
返信しながら足取り重く校舎を出て、賑やかなグラウンドの方角を見遣り、自分の班の場所はと確認する寸前。
手の内から低い振動音が生まれ、突如として見知らぬ番号が表示される。
珍妙な咳が出そうになった。うろたえるあまり携帯を落としてしまい、急ぎ拾い砂を払う指まで慌てる始末。傍から見れば挙動不審な女子生徒Aだったろう。
掛けて来ている相手が誰なのか、くすぶる予感と共に口を開いた。

「もしもし、あの」
? 今どこ?』

想像通りの声が想像以上に近くで響き、絶対に誰にも聞かせられない奇声が飛び出る所だった。電話って便利だけど怖い。目一杯腹筋に力を入れて押さえ込み、空回る鼓動にも気を配る。

「えっと、今昇降口出たばっかで」
『あれっ、じゃあ第一グラウンドの……あ』

方々に満ちる運動会ばりの喧噪をBGMに、佐伯くんの言葉が不意に途切れた。
どうかしたと声を上げ首を傾げる間もなく、

「俺の番号、登録しておいてよ」
「ヒわえぁっ!」

やや後ろからクリアに届く一声で背中が跳ねてしまう。
今度は我慢出来なかった。悲鳴ですらない、最早日本語とも呼べぬ単語の羅列である。

「ハハ! 今の声、どっから出したんだ?」

そんなにビックリしたのかと朗らか且つ爽やかに尋ねて来る人が、携帯端末を耳元へ当てたまま笑う。
首を痛めかねない速さで振り返った私は、目前の彼が通話を切る様を見、初めて繋がり通しだった電話に気付いた。
倣って画面を消し、よぎった感覚に相応しい表現を探す。
(携帯電話会社のCMみたい)
どちらかと言えばコミカル路線である二社ではなく人気の若手俳優さんの方、と脳内にて泳ぐ独り言へ付け加え向き合うと、当然ながら取り立てて着飾ってなどいない、先ほどと同じくTシャツにジャージ姿のままの佐伯くんがつま先の行方を変えた。握り拳から立たせた親指でテニスコートのある側を示し、向こうだよ、格好とは裏腹に整ったかんばせで告げてくれる。
CMにだって出演が叶うであろう容姿でも、気取った所のない人だ。
どこにいて何を着ていても、佐伯くんは佐伯くんだと強く感じて息が変に熱い。



移り変わる小さな画面には、直近の着信履歴が映し出されていた。
佐伯くん、の四文字と添う番号に自分自身にさえはっきり伝えられない、薄いもやのような感情が渦巻いて胸が騒ぐ。
なんでだろう。
自転車同士で別れた時から、心底驚いた顔を見てやりたいと願ったあの日以来、頭から離れない‘何故’がいつまでも巡り、追っても引いてもきりがなかった。
心の奥はしとしととほのかに濡れて静かだ。でも落ち着かない。佐伯くんの事を考えると、何が、どこがかはわからないけれど、もどかしくなってしまう。
もうそろそろ勉強し始めなければならない時間だ。
自動的に灯りが落ちる端末は、端の方が布団カバーで埋もれている。
例えば私から佐伯くんへ電話を掛ける、なんて事態は今後起きるのだろうか。黒い液晶をじっと見詰め、揃いも揃って夏の太陽が似合うテニス部の人達を思い出した。



テニスコートの傍は大いに盛り上がっている。
ほとんど初めて対面する男子ばかりで、女の子はといえばごく少数のマネージャーの子だけ、人見知りをしない私でも多少緊張してもおかしくない状況下、すぐ打ち解ける事が叶ったのは、佐伯くんを含めテニス部の雰囲気や人柄がとても良いからだ。
みんな快く迎え入れてくれて、ばらばらのようでいてまとまる時はきっちりまとまる大きな輪は親しみやすく、だからって馴れ馴れしさはなかった。
そうか、佐伯くんは子供の頃からずっとここにいて、たくさんの時間を過ごして来たのか。
空腹には大層こたえる美味しそうな匂いを肺に入れつつ、バーベキューコンロに敷き詰められた炭の様子を見ている六角一の男前へ視線を向かわせる。Tシャツの袖を捲りテニスウェアみたいにして、軍手で火ばさみを握り首にはタオルを掛けている、休日キャンプのお父さんスタイルでもきらきらオーラに変わりはない。いっそ感動の光景である。
なんでも出来たて、焼きたてが美味しいよね。
おっとり和やかに話してくれるマネージャーさんにそうだねと同意し、いきなり飛び入り参加しちゃってごめんね、ありがとう、告げれば軽く首を振って微笑まれた。すごく感じの良い子だ。
納得、得心、腑に落ちたとはこういう時に使うのかもしれない。
佐伯くんの事を語れるほど深く知らない私はしかし、なるほど、と芯から頷いた。一体何がと問われると答えに窮するが、とにかくぽんと手を打つ心地だった。
みんなに親切でいつも優しい佐伯くん。
押し付けがましい所がちらとも見えず、視野が広く最後の最後で頼りになる、笑った顔と声が爽やかで快活な人の理由や根源を探し当てた気がしたのだ。
直に触れないままで私を引っ張ってゆく掌が持つ、きっとさぞ高いだろう体温を想像する。一緒にいない時や今と相違なくモテていたはずの小学生の彼を、決して見る事は叶わないから瞼の裏で追い掛けた。
私の知らない佐伯くんや、温かい居場所と繋がる今、朝昼夕異なる光を弾く海の色に染まった瞳と低かった頃の背丈、順不同に浮かべたことごとく、上手く形作れず消えていってしまう。
末尾をひったくる力もつもりもない、立ち竦んで見送るばかりの私を呼ぶ声がした。
さっきまで隣にいたマネージャーさんがいつの間にやら移動しており、少し離れた所で手招きしているので距離を詰める。と同時に手渡された紙のお皿にかぼちゃの煮っころがしが乗せられて、勧められるがままに口へ運ぶとものすごく美味しい。それも、お母さんのご飯より。
驚愕に衝撃が混ざり、絶品以外の何物でもない味で気を抜くと目が回りそうだ。
学校の畑で育て採れたてだからというのも無論あるが、産地直送であれば無条件でここまでの一品を作れるものでもないだろう。ほくほくとちょうど良く煮崩れ、素朴な甘さが柔らかく染みるかぼちゃ料理につい全神経を集中させていたら、美味しいでしょう、樹っちゃんはうちの部で一番の料理上手なんだよ、少し誇らしげな声にまさかの事実を突き付けられて言葉を失う。
え、ほんとに? 本当。ほんとのほんとに!? 本当の本当。
しつこく聞き返し終いには笑われたけれど、本当に思いも寄らぬ事だったのだからしょうがない。古豪のテニス部に所属しながら、この料理の腕はどういう事か。
思わずさっき紹介されたばかりの樹くんを探す途中で、佐伯くんと目が合った。
一度茹でたか蒸したかしたじゃがいもをアルミホイルで包み、仕上げとしてバーベキューコンロで焼くらしい。鈍い銀色の球体が網の上にいくつか転がっている。
なかなかの距離があっても尚、風に乗って伝ういい匂いが鼻をくすぐった。
割り箸とお皿を持ったままという己のなんとも子供っぽい恰好に気付いたのは、佐伯くんがにこっと笑ってからだ。一対の瞳を柔らかく細める人の口角は綺麗に上がっていて、上手い事少しだけ開いた唇も同様に美しく、頬張ったかぼちゃの美味しさに目を白黒させている私とは大違いである。
またしても失態だと判じた脳が右腕を素早く動かす。
無意味に口元を握り拳で隠し、首を縦に振るかはたまた横かふらつく間に、かの左手がアルミホイルに巻かれたじゃがいもを指差した。着膨れる軍手の上からでも指の長さがよくわかる。
手招きといった合図もなくこっちにおいでとも口に出されていないが、傍に呼ばれた事を悟った。
後ろ肩を軽く叩かれ首を捻るとマネージャーさんが、次はあっちね、最後の六角祭なんだもの、この際全食材ツアーをオススメします、冗談めかして言う。
お腹に入るかな、率直に零した懸念を、その辺は多分サエがなんとかするでしょう、無責任とも取れる声に打ち消された。
彼はそこまで気の回る人だと思われているのか、感心しきりの私は箸や紙皿を手に近付いていく。とんでもなく食欲をそそる香りに鼻も胃も、果ては脳まで反応してしまう。さっき自転車で駆け抜けたお陰で、いつものお昼より体がカロリーを欲しているのかもしれない。

「樹っちゃんの料理、美味かったろ?」
「うんかなり。びっくりした」



寒さが増すごとに思い知る。
佐伯くんは春夏秋冬、場所や時間を選ばず爽やかなのだ。移ろう季節の風流も彼には歯が立たない。近付くと風のようなびいてくる心地良さと、すごく心に残るしたたかな瞳が同居している。
太陽がぎらついていても、例えば暗く陰っていたとて、煌めいて眩しい。
さざめく光の在り処は、けれど目を開けて見詰めていられる。
閉じないでいられるほど強い心の持ち主じゃないと自分では思うのに、何故だか佐伯くんは別だった。

押し黙る携帯を熱心に眺めた所で異変は起こらない、起きるはずもない。
頬の代わりに膝を叩き、ベッドからフローリングの床へと足先を伸ばす。
日が落ちて気温は下がるばかりの夜でも唯一、佐伯くんと私を繋げてくれる可能性を秘めた端末はあえて捨て置く事にした。
特別に偏差値の高い学校を目指していなくとも受験生、ここで怠けたら春、痛い目に合ってしまう。
参考書やノートが詰まれた机へ向かい、椅子を引く。キャスター付きの足はなめらかに床を擦った。
車の通りが収まった窓の外は夜の海と同じ、境なき黒に染まっているのだろう。やたらと鼓膜に触れる室内の物音はしかし、ほんの微かでごく淡い。
私は、佐伯くんはこんな風に椅子を動かす時も左手を使うんだろうか、考えても仕方がない、まるきり無意味だと揶揄されるに違いない思考の波間に迷い込んでいく。





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