03




自分が丸ごと心臓になったみたいだ。
大きな拍動で鼓膜は破れる一歩手前、口腔内を舌で掬われ声が変に漏れる。
膝立ちのまま重ねている所為でフローリングに接した部分はやはり痛んだが、体勢を変える余裕がない。
シャツの上から背中を這う体温に皮膚が熱く撓って、閉じた目の裏がぐるぐる回り、佐伯くんの服を握り締めた指先がじんとして、唇の内側に生まれるぬくい息の破片をことごとく舐めとられて、間違いなく優しいのだけれど手抜かりがないから呼吸が一拍遅れた。
また裾の方から入って来た手は、さっきと違う触れ方で上ってゆく。
ふと置かれた息継ぎの間で空気が濡れた直後、脇腹をくすぐる掌型の温みに気付き、一体いつ背中を下っていたのだろう、とぼやける頭が呟いたがしかし、胸の横から忍び込まれ思考能力は燃えて消えた。
今度は実にあっけなく、さっさとブラをずらす指先が丸みのふちをなぞる。
独りでにひくついた喉は簡単なひと言さえ発せず、呼吸の末尾までもが叩かれた。内布に持ち上げられたTシャツが僅かに縒れ、常と異なる締め付けに息を詰めるも、すぐにホックが外されたお陰で苦しさは長続きしない。
薄い衣服の下を這い回る掌には遠慮がなく、久しぶりだから色々間違えないか忘れていないか心配で、ほのめく緊張や恐ろしく速まる脈拍で神経が焼き切れつつある私に比べ、佐伯くんの方はといえばひと欠片の戸惑いも存在していないような振る舞いだ。
だけど悔しさや不安の類が一切沸いて来ないのは、私を撫でる手つきや舌周りを押し絡め取ってゆく濡れたざらつきが、いつもよりずっと性急だから。

「…は…、はー……ぁ…ふ……っ」

そのくせ唇は弱く吸うので吐息が淡くかじかんだ。
ちぐはぐにずれて重ならなかった事が段々とすり合わされていく。
啄む音はともすれば可愛らしく、短く繰り返されているだけなのかもしれないけれど、そんな風には感じ取れなかった。
肺と気管が腫れ薄い苦しさに揺蕩う狭間、喉が一旦涼しくなる。冷えた空気を飲んだら、また塞がれる。掛かる透明な糸が切れぬ内に押し込まれ甘噛みされてもう何もわからない。
体の裏を直に撫でられた錯覚で胸が混ざる。
腿の内が震えてしまい、波打つ振動が伝い上った奥は湿り気を帯び始めていた。
辿るだけだった指が不意に――本当に前触れなく緩んだブラを一気に持ち上げ、肩が大いに動揺した。
ひゅっと詰まった肺の外、布地の支えを失くした胸をゆったり掻き混ぜられて声も出ない。体の奥底で緩いさざ波が生まれ、ほのかな鳥肌が立つ一方、咽喉は二度三度びくつくばかり、酸素を食む隙を与えられたがろくに味わえず、どこにもいけなくなった衝動が皮膚の下を回り巡り、心臓や頭の芯が煮え立つ。
いくら何でも過敏すぎる。
酸欠に陥りつつある脳で後の事を考えて怖くなった。
佐伯くんの熱を帯びた大きな手が自分でも普段以上にふやけているのではと感じる丸みをやんわり揉んで、ごつごつとして骨っぽい親指と人差し指で挟み緩慢に振るわせる。
背骨ごとぎゅうと竦んで、どうしてか私は陽射しを浴びたテニスコートでラケットを振るう姿を思い出してしまい、余計にたまらなくなった。
左利き。ボールを返すと骨や筋が浮き彫りになる、すぐさま追えなくなるその瞬間を切り取った写真。目にも鮮やかな黄色を弾ませて掴む。
サーブを打つ為に天高くへ向いた指先は男の子らしくて、真っ直ぐで伸びやかだ。
繋ぐとよくわかる太い節や関節の形。
あの頃からテニスと通ずる人が、長い間コートで駆けて来た証拠に硬く張り締まった指が、今、私に触れている。
文字通り肌で感じ、体の中身が散り散りになりかけた。
抗えない。込み上げる感情を何と名づければいいのかまるで判断がつかない。ただ唇の中が無闇に甘かった。
口づけが近くなる都度、掠りもしていないのに小さくしばたく睫毛の気配を知る。
目を開けたい。
開けたくない。
閉じていても感じる佐伯くんの形だって大好きだから。
離れた僅かな隙に吐息で呼ばれた気がして、瞼の裾が柔く崩れた。
首の後ろへ這い寄るぐらつきに全てを持っていかれるかというさ中、胸元に触れていない方の手がスウェットの腰周りへ下り背中側から脱がそうとするので、そのほぐれた感慨も吹き飛ぶ。

「…あっ、ぁ待って!」

この調子ではあっという間に恥ずかしい恰好にされかねない、と思わず転がした制止に佐伯くんはおかしなくらい素直に従ってくれた。
眼差しが私を貫く。
肌に染みるほど静かに、だけどどこか逸るものを押し殺す強さが在った。
それがまた眩暈に拍車をかけ、自ら言い出したにもかかわらず慌てふためき語尾がおたついてしまう。

「ごめん、だめなんじゃなくて、あの…」

息がにわかに飛び室内が静寂に閉ざされた途端、異様なまでの高鳴りや血管の軋みが顕著になって、なるべく隠したかった羞恥を剥き出しにした。

「そ、の……じ、自分で。後で、私、やる…から」

意識すればするほど質量を増す。
だってまだ始めたばかりだ、ほとんどキスしかしていないのに、下着の中が出来れば見せたくない事になっているだなんて、やっぱりできれば知られたくない。
緊張感にも似た焦りが更なる不和を生んで、駄目だと思うと尚撓んで潤み、お腹の底が熱く揺らいだ。
膝から上がぴくりと応じ、つい両腿を擦り合わせてしまった刹那、

「っ、! ぁや…ほん、とっ…に、自分で…!」

節くれ立った指が暴こうとする。
必死に留めようともがく私の腕やら手など難なく躱し、いとも容易くするする落ちていく。
後ろを見ようと上半身を捻った体勢では佐伯くんがどんな表情をしているのかわからないけれど、迷いのない仕草からして私が何を恐れているかは悟られているのだろう。
太い手首のだいぶ上をようやく掠めたはいいが、しっかり掴めない。重い家具もよいしょの一声で軽々持ち上げてしまう腕力に叶うはずもなかった。
いやだ、やめて、お願いだから待って。
忙しなく言い募り、見た目より広くて逞しい胸板へ体を押し付ける恰好になっているのも忘れて懇願する。目頭へ強烈な熱が溜まって本当に泣きそうだ。
でも聞こえているに決まっている彼は、穏やかとも表す事の出来る指遣いを止めない。
微かに下げたスウェットの内、薄布の下へと潜って湿り気を含んだそこを両手で優しく割る。
背筋が凍り、次いで呼気もつかえた。やだ。言えない代わりに胸の中心が思い詰めて滞り、かと思えば激しく唸る。
渾身の力で掴みかかった腕はびくともしなかった。
そうして一番知られたくなかった相手に一番知られたくなかった所を辿られ、とろついた水を含んだ部分へ触れた私じゃない人の指が、あからさまにぴくと止まる。

「………、濡れてる」

低いささめきで聴覚は役に立たなくなった。羞恥で視界が歪み、全身の血液が騒いだあげく蒸発する。
恥ずかしくて死にそうだったし思い切り悲鳴を上げたかったけど、間髪いれずゆるゆる上下に擦られ痺れる刺激と気持ち良さの方が勝ってしまう。
膝小僧は電流が走ったよう、半ば縋り付く形で眼前のシャツを握り締める。

「っやあ…、ん…や、だぁ……やだよぉ……」

鼻にかかった甘ったるさも自分が自分じゃなくなったみたいで嫌だ。
いつもと違ってろくに宥めもしてくれない佐伯くんは黙ったまま進めていく。
円を描くようにお尻を撫で揉まれると腰どころかおへそまで変になって奥歯を噛み締めて耐える。数回繰り返されたのち、もう一度濡れた場所へ中指と人差し指が降った。また息が詰まり強張る。左右の手を目いっぱい縮めて丸め込み首を横に振って、恥ずかしさと快楽の走りが所以の涙を払いのけた。
ぬるつく隙間へ関節の目立つ指が入って来る。
脳髄が焼き潰されそうだった。
ひきつけを起こした喉元は、気を抜いたら破裂するのではないだろうか。
膝小僧がすれて熱を持つ。
ゆっくり、ごく丁寧に行き来していく佐伯くんの指先は、入口ごと少しだけ押し上げつつ浅く掻き分けもする。
滑りよく進むのは私の所為。
思い知って腰と背中の境目が固まった。
普段とは違う角度と触れ方がもどかしく、でもかえって好い気がして、相反する感覚は回り巡ってやまない。
自分の心臓の音がかたい胸板に跳ね返されて聞こえるほど近かった距離が開いて、は、と我慢していた息を吐いたと同時、微かに湿った左手が知らぬ間に手前へ回り、お腹を這い落ちてくぐって来、驚く暇もなかった。

「あ…ぁ! んっゃ…」

薄い下着など大した障害ではないとばかりにちらとも突っ掛からず届いた上向きの掌に、今度は前側から足の付け根の間を撫でられ耐え切れず顎を引く。反射的に瞑った目の奥で火花が散り、せり上がった唾液を必死で嚥下した。
佐伯くん以外他の誰にも触られた事のないそこをまるく包まれたまま指の腹でなぞられ、背骨がぶれてざわめく。
鼻先が俯いていてはどこをどんな風にされているのか直視してしまう、理解していても爪先一つ動かせず、瞼の二つともよりきつく閉じる他ない。
厚く盛り上がった手首の手前辺りが敏感な尖端に当たりそうで、だけど受ける刺激はまだ弱く、半端に意識が残ってしまっていた。
彼の指先がとても器用に緩んだ箇所だけを辿る。時々微かに潜って、届きそうで届かないもどかしさを何度も生み出す。決して深みには達していないのに滲み始め、エアコンから降る風は冷えていても渦巻いた血が暑い。
全体を使って揉み込むよう動く掌と徐々に滑る範囲を増やしていく指が細かく不規則に私を揺らし、足を開く事も閉じる事もままならず、にじり寄って来る快感を抑えようとシャツを掴んだ拳に一層の力を籠めた。
すると、急に佐伯くんが触れ方を変え、今さっきに比べたら少しだけ深めの抜き差しをし始めるから、舌の根がひずんだ。
鼓膜から体の内側からくちゅくちゅ伝う音に最奥はみっともなく震える。

「…ぁ…め、だめ、さ、えきく…っ、ん、ん、あ」

体を支えていられない。
膝から下の感覚が失せ、けれど足の爪先だけは異様に強張り、スウェットの中で微かに汗ばむ腿ががたつき定まらず、がく、がく、と痙攣めいた反応をしてしまう。独りでに縮こまる肩は軋んで痛むくらいだ。
それでも何とか耐えようと口元を手で押さえお腹の中心を張り詰めさせたら、引いていた顎が右の親指と人差し指に捕らえられ、やや強引に上向かされる。弾んだのち萎む息は途中で飲み込まれた。舌と唇を幾らか荒く食む佐伯くんのそれはすごく熱い。
緩んだ口の端を言葉に成り損ねた声音が突く。離れ際に唇の輪郭をちいさく舐め縁取られ眩んだ瞳では何も見えない。

「…いいよ、俺にしがみついてて」

返事らしい返事をするより先に後頭部をグッと抱え込まれて辺りが一瞬暗くなり、次いで火の粉色の光が瞼に爆ぜ、散った傍から白く溶けた。
佐伯くんのにおいがする、感じる間もなく呼吸は濡れて撓り、下腹部に差し込まれていた左手が随分素早く退いたと思うが早いか、お尻をくるみながら落ちて真っ直ぐに行き着く。
難なくするりと入り込み、ぽってりとして腫れぼったい柔い肉をいかにも優しげに掻き、形を得つつある尖りの前を終いに軽く弾いて、もう一度。
幾度か重ねられる中で角度と強さが少しずつずれていき、湿り気を孕む音は増すばかりだ。
ぬかるんだ狭間を摩られるのと一緒に耳の後ろや脇をしっとりと濡れた舌に侵され、その温い柔らかさがでこぼこしたところや窪みに沿って這う。
しとやかになぶられて、つつかれて、くすぐられて、甘く噛まれる。
直に聞く息遣いと濡れ音で耐え難い身震いが引きずり出されていく。
怖気に近い得体の知れぬ何かが首裏から下り、背筋の表皮を掠めゆき、腰の奥まで差し込んだ。中から裏返る勢いで肌が毛羽立つ。
広い腕の中で私は全身のあちこちを跳ねさせ、無意味でも横に振りたくて仕方がなかった首をしかと捕らえられ、与えられる感覚に掻き乱されるしかない。
気がふれるかと思った。いや、とも、いい、とも言えない。ただ、体と体の間でくぐもった声と唾液が零れた。

「ふ、ぅ…っ、ふー……、んくっ…ふ…んん、んぅ」

思い通りに抑えられなくて涙が滲む。
溢れて止まらない。
佐伯くんの服を汚したくなかった。
なのにやめて欲しくない。
いつからこんな、気持ちや体が言う事を聞かなくなってしまったのだろう。
お尻の方に戻っていた指がとろとろとした滴りを纏い、深めに中を探って来る。
肩が飛び跳ね腰の底をきつく絞ってしまった。上がり調子の悲鳴がシャツに吸われる。膝がくず折れかかり姿勢を保っていられず、本当に縋り付く以外のすべはなく、佐伯くんが支えてくれていなければ倒れ込んでいる所だ。
お腹へ当たるものが気の所為みたいに大きくなって硬さを増している。
理性は遠のきながらも羞恥心を呼び、くらくらして目の前が焼け溶ける。
でも、おかしくなっているのが自分だけじゃない事に欲の渦が巻き、焦がれた体が熱を持て余して切ない。

空白が生まれたのは、一秒後。

抜かれた水音と感触にびくつき背中を弾ませたら、突然、浮遊感に見舞われたのだ。
視点が一気に高くなる。慌てた手先が掴んだのは、立ち上がった彼の肩だった。
ふやけた膝裏へ腕を通した佐伯くんに小さな子供か縦に長い荷を抱える要領でひょいと持ち上げられたらしく、遮るものが一切なくなり急に涼しい。
拍子に目端を平らな雫が打つ。
眼下には日頃は見えない旋毛があって、別にさしたる大発見でないにもかかわらず胸の中心が高鳴った。
すれて変に張り付く下着を恥じる瀬戸際、数歩も歩かぬ内に景色が斜めがかって揺れる。
断りもなければ気配もなかったので、厚い肩へ置いてあった手に思わず力を籠めたら、おかしそうに瞬いた揃いの目に笑われてしまう。
ひょっとしたら自分がすごく特別な女の子なんじゃないかと勘違いするくらい優しく背中から降ろされて、心臓に火が灯る。
耳の後ろで買ったばかりの枕が沈んで、そっと軋むスプリングの音は鼓膜を突いて来、染みた内側で脈が速まっていく。
大丈夫だからと安心させようとしてくれているみたいな仕草だった。
お腹の奥がまたざわめく。自然、息が浅くなる。
もう笑ってはいない佐伯くんの凛々しい眉の下で強かな光を蓄える瞳には、きっと私が映っているんだろう。
背からやんわり抜けていく腕の摩擦にシャツ下の肌が震え、緊張感と似ているけれどそう呼ぶにはあまやかなものが胸元を突き上げた。
一挙一動にドキドキしてどうする事も出来なくて、好きなのに息苦しい。
深呼吸を心掛け――と、久々に冷たい酸素を取り込み覚めた脳が、部屋の明るさを知覚した。
外の夏盛りの青空もこちらから丸見えだ。
今更の気付きに頬がうっすら燃え、これからする事を思えば尚焼ける。
どうしよう、ちゃんと自分で服脱げるかな、と力が抜けたきり戻らない指先を握り込み、仰向けにさせられたまま唇を振るわせる。

「…ぁの、カーテン……」

弱く先細ってさぞかし聞き取りにくかったろうに彼には届いたようで、全て伝え終わるより随分先に整った目元を窓の方へ差し向けベッドから下りていく。
一人分の体重が消えて生まれたシーツの反動にすら神経が騒いだ。
私のより重い足音がほんの僅か遠ざかって、素早くシャッと走った留め金がカーテンレールを滑る響きに喉が鳴る。
申し訳程度薄まった陽光がやけに目に付き、ぎこちなく上半身を起こすと、ちょうど踵を返した人が、自らのポロシャツの後ろ襟を掴んだ所だった。
歩きながらそのまま引っ張って背中側から一気に抜き、乱暴な脱ぎ方をした所為で散らばった髪を振って、掻き遣る途で服を放る。
厚めのカーテンをすり抜ける昼日中の光に晒された体は、鍛えている人のものだ。
久しぶりに目にしたというのも理由の一つかもしれないが、それでもやっぱり前よりがっしりとしていて逞しい。
端整でも頑丈そうな肩先から少し飛び出た鎖骨の太さ、傍近くに取り付き吊られて張った筋。陰影の這う首元や喉笛、広くて分厚い胸板と平らかでもなければ盛り上がり過ぎてもいない腹筋に、脇の方の肋骨に乗った筋肉と、余す所なく見入ると心拍数が乱れはしたなく暴れ出す。
右手首を裏返し腕時計を外す時の、二の腕や肘の内側の筋張った箇所、薄青く浮き出た静脈に、骨っぽい指先のしなやかな動き。
触れたいと願ってしまう私がおかしいのだろうか。
流石に時計は投げずにやや屈んでローテーブルへ置いた佐伯くんが、狭いベッドの端に膝を乗せ、腰を落とす。
覗き込まれて淡い影が降った。
すぐに目線が合わさって、さっきまで時計のベルトを払っていた左手に頬を撫でられる。
鼓動が大きくなり過ぎて逆に聞こえない。耳の奥底で蠢く血液の流れに意識が霞み溶け込んで行くよう。体の中身が火照って暑かった。
海鳴りがする。
錯覚だ、わかっていても心が震えほどけて、好きのひと言じゃ全く足りない想いが染み出し、堪え切れず溢れた何かが涙となって視界を濁らせた。
せり上がった唾をこくりと飲んだと同時、寄せられた唇に阻まれても私は抵抗しなかった。……したくなかった。
表面を掠めるだけのキスの後、いっそ穏やかだと感じ入る手つきで押し倒されて、向きと角度の変わった肺から空気が長く細く零れていく。
微かな隙間が指の分、裾の側へ生まれ、布地が上へ上へと縒れた。脇腹と背中にかけてを摩られるとくすぐったい。背骨もそば立つ感覚を避ける為に半身を捻ろうとしたら、ブラごとシャツを引き上げられて呼吸が切れる。ひと際大きくうなった心音が聞こえやしないか不安だった。
喉元と両腕の付け根まであっという間に捲られる。躊躇なく脱がされて半端なバンザイの恰好になり、吹き込んだ夏特有の冷気に鳥肌が立ったのが見えずともいたく感じた。
身震いするほどじゃなかったけど、私の服と下着を裏返しのままベッドの横へ落とし込んだ彼はとんでもない視力の持ち主だから気付いたのだろう、壁側へよけられていたタオルケットを被った上で距離を押し潰して来る。
空気がほんのり暖まり、滲んで甘い。
左の掌に顎の骨を辿られて、出来ては破れを何度も繰り返した肉刺の跡を皮膚で知り、親指の腹で目尻のごく薄い雫を拭われる。
中指と薬指にほつれた毛先で隠れた耳朶をゆるく抱えられた。離れず後頭部へと回り、片付けに邪魔だからと束ねていた髪を、もどかしさでこちらが焦れるくらい丁寧に解かれ、唇や舌の上と喉奥も通ずる気管も全部が切なく噎せて縮む。
どうしよう、とはもう思わなかった。
大好きな人の指と手が後ろから髪を梳いてくれている。
息が上手く続かない。

「………わかった」
「何が?」

けれど何とか繋げれば、私の横に肘を付いた彼が当然の疑問を口にする。
(佐伯くんは痩せたんじゃない、引き締まったんだ)
間近で見、ようやく受け取る事が出来た。
老けてなんかいないし童顔でもないからいつまでも変わらない人だと思っていたけど、違う。
中学、高校の頃にはまだ残っていた子供の丸みは既になく、均整のとれた体つきはそのままに細身の印象が薄れ、筋骨隆々ではないにしろ以前に比べれば筋肉と骨格が目立って来ている。
身長も少し伸びた。
最近シューズがキツくなって来てさ、と人差し指で靴の踵を引くのでサイズを尋ねてみたら想像以上の数字が戻り、びっくりした日。
傍にいたから気付かなかった。
満足に過ごせない時間があったから気付けた。
男の子から男の人に成長したのだ。
余計に早鐘を打つ胸の中身を抑え、横合いにある想像通りに張り締まった二の腕へ、外側から両手を添わせる。佐伯くんは大して力を入れていないだろうに硬くて、とてもじゃないけど私一人で動かせそうにない。

「佐伯くん、別に痩せてないね。きちんと男の人になったんだね」
「どういう意味だよ、それ」

屈託のない笑顔を向けられると喉の奥が甘ったるく絡む。

さ、今まで俺の事なんだと思ってたわけ? 俺は生まれた時からきちんと男! それにあんまりそういう事言うと深読み、っていうか……俺の好きに解釈するけど?」

いいんだな、と爽やかに通る声が続いた。
うん、していいよ。
ほとんど反射的に答えかけ、相手任せにするのも受け身でい続けるのもやめる、と決めた以上素直に頷くわけにはいかない、勝手に綻ぶ口元に笑みを浮かべてみせる。

「じゃあ私も佐伯くんの言った事、私の好きに解釈する」
「ハハ! そう来たか、どんな解釈なのか教えて欲しいなあ。気になるじゃん」

真上で楽しげに動く喉仏にも指を伸ばして触りたい。
したい事ばかりで心と体が追いつかなかった。
でも向き合って笑い声を零す今この時でさえ、じんわりと満たされている。
とても不思議な心地だ。早くと急く一方このままでも良いと思う。彼が笑うと釣られて緩み、無性に嬉しくて声を弾ませてしまう。
状況が状況なので密やかに努めたが、漏れ出てゆくものは仕方ない。
しかし堪えて、ふふ、と小さく転がすまでに留めていたら佐伯くんが黙った。
時間と周りの空気が止まってあぶくが浮かび破れる。

「…あ。ん、っ」

微笑む形に閉じていた瞼を上げるや否や口づけられて確かめる余裕もなかった。
舞い戻ったとろけた雰囲気に肩から上が竦んで強張る。
不意に訪れた質量のある静寂で耳がバカになり、切なく締め付けられた胸がきゅうと鳴く。
ついさっきまで普通に話していて、白い歯を見せてよく笑う優しい佐伯くんだったのに、急に奥に激しさを含んだ情熱を注がれる。
まるで人が変わったみたい。
私は本当に、この瞬間がたまらなく好きだった。
全身が熱くうねって打ち震え、呼吸は途絶え出し、ぐんと近付いた乾いた肌のにおいで胸が騒ぐ。
舐め擦られて食べられる。息の存在も忘れた。なめらかに辿られると全部が潤んでうやむやになっていく。
眩暈で瞼の裏も白に溶けるかという時、濡れ音と一緒にほんの僅か外れた唇が私だけに囁いた。

「…口開けて……。舌、」

続きが消えても関係ない。もう充分だった。
熱っぽく掠れ上擦った声音の所為で血管が破れそうに膨れ上がる。言われるがまま求めに応じ差し出すと、すぐさましっとりとした熱がぬるぬる雪崩れて来た。
肩、背中から腰までの骨の髄が、肌を裏から振るわせる。掻き回されながら軽く舌を吸われたお陰でくぐもった声が抜け跳ねていく。
息も鼓動も間に合わなかった。
一生懸命佐伯くんへ同じ事を同じだけを返そうとしても全然敵わない。
飲み下し切れなかったものが顎を伝い、それでも口の中を触れ回るざらつきはずっと止まらない。苦しいくらい舌を押して来、舌裏の方までなぞって掬う。上顎を舐め摩られる。弱い所にすり付けられると、背中が反って腰が浮く。
温い唾液を送り込まれたり、反対に静かに喉を鳴らして飲まれたりを、何度も繰り返した。
裸の上半身同士が触れ合う手前で息をしている。体温が広がってタオルケットの中が籠もり、酸欠に陥りかけているのか脳内は薄く煙って目の前がちらつく。

「……ふあ…っ、んん……ぁ、は……」
「…、まだ閉じちゃ、ダメだ…」

私に比べ荒れていない息の持ち主が、浅い所をさ迷っていた舌先をちゅくと音を立て窮屈そうに引き抜く。息継ぎや与えられるものを飲み下す機を求める内、しらずしらず舌を押し出してしまっていたようだ、いつの間にか深い交わりが出来ていない。

「まだ。……もう、少し……もっとキスしてたい、から…ゆっくりでいいから、開けてくれ…」 

今、溜め息めいた囁きを零すのは佐伯くんしかいないのに、何年も前から知っているはずなのに、酷くざらついた知らない声だった。
お腹の下から込み上げた衝動に声帯をぐちゃぐちゃにねじり捻られ、体全部が変になる。最奥に滴りが満ちてゆき、汗の噴き出る錯覚で爪先まで縮こまった。
はく、と音にすらなっていない出来損ないの呼気でこじ開ければ、今度は柔く啄まれる所から始まり、唇だけでじんわり噛まれて濡れそぼる。段々と中へ伸びて来るしなやかな舌に喉はひずみ、背の裏を駆け上がる熱い震えが我慢しようとしたって気持ちいい。
もっと擦れて直に感じたくて、相変わらずびくともしない筋肉のついた腕を上り、肩まで進んで抱き付こうとした時、佐伯くんが首を下げてくれるので距離が更に崩れた。
いよいよどうしようもなくなった私が駆られるまま口とその奥中を動かし、腫れて撓み所々切れ切れになりながらも、

「ん……わ、たしも…キス、…んぁ…した、い……」

どうにか最後まで紡いだが早いかぐずついた音とぬるつきが一層強く絡む。底無しに引き摺り込まれてゆき、まるで際限がない。
恥ずかしい、気まずくなったら嫌だ、嫌われたくない、寂しいけど我慢しなきゃ。
たくさんの言い訳で塗り固める内、口に出せなくなっていった望みがあからさまに波立つ。
角度や巡り方を変え続ける舌にゆったり貪られると塩辛くない涙が滲んだ。
息が湿る。肌が温い。浮き始める汗が含む、している時特有の感覚で背骨の中身ごと揺れてしまう。
私の剥き出しの肩から首に掛けてを幾度となく撫ぜていた掌が、どう頑張っても閉じてしまいがちになる唇に添えられ、太い親指はといえば顎を摩った後、く、と下に引いて来る。与えられた一瞬の間に呼吸を結び付けようとしたが叶わない。緩い水音と一緒に甘く塞がれたからだ。
少しだけ離れ、濡れた口元を動物みたいに拭い舐められて、腰の裏へ差し込む痺れに体を全部持っていかれるかという時、でも、と低く呟いた佐伯くんの声音で私達の間を繋ぐ空気が微かに震えた。
さっきよりうんと掠れた響きが染みる。

「――ごめん。ホントは俺、…キスまでにしておきたくなかった」

薄れて揺らぐ語尾に耳朶が浸されたすぐ後、口いっぱいに溢れ零れて行き場を失った唾液ごと舌を強く吸い上げられ煮溶けた声と息が交ざり、一瞬意識が白飛びしてしまう。
喘ぐ事すら出来ず籠もって奥の奥がじゅくじゅくに潤んだ。

「好きだ。大好きなんだ。俺の事好きだってもっと言って。そう想ってくれるなら何度だって構わないさ、何度でも聞く。今みたいな可愛い声も聞きたいし全部見たい。それで、キミも俺だけを見ててくれ」

いつも熱いのにこういう時は少し低くなる温度の手が肌を移る。仰のいた胸を柔く包んで来る。

「ずっと……抱きたかったよ。…もう離さない」

瞬間、青々とした光の海が脳裏を焼いた。
佐伯くんの部屋のカレンダー。
ぼやけ気味の蛍光灯に馴染む、整った目の端。笑い飛ばす声音と頭の天辺に触れた掌が今になって深い。帰る電車の時間を静かに尋ねた人の体温や唇の柔らかさ。
いつかの夜、通話を切ろうとしたら眠そうな声で拒む。突然コール音を鳴らしても責めない。不意に忙しいのかと聞かれ否定をすると、けど最近電話して来ないじゃん、と決して重くないひと言。
遡って、電話口で私をなだめる声が響く。
そんなに急ぐな、お母さんもお姉さんもキミの事が心配なんだ、わかってやれよ。
私は、向けられた優しさを無下にして、人の気持ちを考えもせず、もう少し寄り添って欲しいだなんて我が侭にむくれた。
佐伯くんにしか出来ないだろうニコッと煌めく笑顔、綺麗な目元は笑むと眩しく、耳に残る爽やかな話し方、照れ臭そうにはにかんだ時の傾き。
まばたくよりも短い間に次から次へと不連続に行き過ぎまるで走馬灯だ。
冗談じゃなく今ここで死んでしまうのかもしれない。
一番に大好きな人の傍で、耐え難いまでの至福と希う切なさでない交ぜの心を抱えて。
(なんで私は、あの頃から、思い込みが激しくて自分の事ばかりで、省みないで勝手に走っちゃうの。なんで…、どうして)
ついに堪え切れなくなった涙が零れ頬骨を滑り耳の横へと滴った。
眉間へ皺を寄せ、本当の意味でおかしくなりそうな口元を手で覆い上向きに目を閉じた私は、私を知らない人だったら嫌がって見えたに違いない。
でも佐伯くんだけは違う、きっとわかってくれる。
そう信じられる事が嬉しくて幸せで、鼻を啜りながらやっとの事で頷く。

ただ一人の男の人がついた熱っぽい溜め息で耳殻が湿り、余韻が消える前に首筋へと口づけられた。
単純に置かれているに等しかった指先は細やかに震えるよう蠢き、甘い衝動に振られた所為で底から抜けてゆきそうだ。鼓動の強さも役に立たない。全身を巡る血液すら敵わない。
膨らみの横をまるく撫でた手が脇の下へ差し込まれ、もう片方は腰の後ろへ回り、お互いの肌合いが擦れて重なった。どくどくうるさい拍動がどちらのものなのかわからないほどに近い。
熱心に塗り潰す触れ方をする掌に呼気が弾かれた。
鼻先が耳裏の窪みを軽く探って来て、すっかり濡れそぼった唇は私を辿っていく。
顎のラインの半分までを伝い、太い血管があるはずの首筋へ落ち、やがて肩との境に着いた。
とても自然に滑った指の関節の硬さを胸の柔らかみで知り、混ぜられながら首元から肩口にかけてキスを落とされたあげく、念入りにつうと舐められれば我慢出来ない。吐く空気ががたがたにびくつく。
私の体をやや浮かせると同時に腕も取り上げた彼が脇に舌を這わせるので心臓が飛び出す所だった。
引っくり返った喉は短くすすり泣き跳ねる。
やわい痺れに追い付けず小刻みにかぶりを振っていたら、二の腕の内側を食みつつ軽く吸われてたまらない。まともに動けやしないこちらを置き去りにして、佐伯くんは口元を休めず私の腕を自身の肩に掛けてから、空になった手でぷくりと主張し始めた胸の先端をやんわり摘んで捏ねて来た。

「あ、ゃ…っ! は、ん…んっ…」

あまり経験した覚えのない刺激に背中が反れる。
前にした時とそう変わらず丁寧にして貰っているはずなのに、何故だか手荒い気がしてしょうがない、感じた途端に足の間から零れる快楽のしるしで目が回った。
筋くれ立ったそれぞれの指に丸みを揉み込まれ、腕の肉から鎖骨へと移り骨の出っ張りをなぞって濡らす舌の熱と感触に背中がひくつく。
窪んだところに上唇を差し込まれた後で2,3度ゆっくり甘噛みされる都度、目の前で強い光が散っては消えていった。
おかしい。
普段と少し違う事をする佐伯くんもだけど、初めてされるのに全部が気持ちいい私だってすごく変だ。
粟立ちが体の最奥から始まり裏側へと通じて一気に噴き出る。
ベッドとくっついている側の肉が余す事なくぞくぞくするお陰で汗も余計に滲んでやまない。
皮膚の薄い部分を吸われればぴりつき、柔い箇所だと血が集って微かに腫れた。
どうしても乱れてしまう胸を全面を使い押し撫でていた掌が横腹辺りへ滑り、残った親指だけで膨らみを持ち上げようとする。
指の腹が沈み込んで、ついさっき挟まれていた先端の傍近くまで来たと肩を細めたタイミングであえなく離され落ちる。鎖骨と鎖骨の間を舐め摩っている彼には見えていないだろうに、指遣いが的確過ぎて快感に飲まれるさ中にあっても混乱が生まれたほどだ。
くる、くる、と小さく円を描きながら、太い親指がもう一度上って来る。
覚えず息を詰めた。
でも敏感な尖りのすぐ手前で戻ってしまう。
止めていた空気を吐き出す。
――やっぱり変だった。
こめかみや首の裏をすべらかな汗が徐々に濡らしていく。絶対にいつもより早い。声が出ないから苦しかったけど、嫌な感じの辛さじゃなくて戸惑う。
佐伯くんの茶がかった前髪が擦れて下り進み、胸元の比較的平らな谷間で止まって、僅かな間もあけずに唇が落ち、舌で何回かつつかれた。

「ひゃ、ぁ、まって、な、なんか…ヘ、ンっ、く、くすぐ…ったい」

気持ちの良さが引き切らぬ内に打って変わって可愛らしい触れ合いを施されるので、芯を煽る潤んだ熱に身をよじる。
転がった言葉通りの感覚に留まらず背筋をひた走るそよめきも確かに得てい、薄らと中が悦んで酷く甘かった。まるきり嘘ではなかったものの、咄嗟の事だったから正しい表現かと問われれば違うのかもしれない。何も言えなくなるくらいの情感ではないからこそ、むしろ掻き立てられてしまう。
密かに上がる息が重たい熱を孕み、下布の内側がまた恥ずかしい事になっている。
自覚を塗り重ねた分だけぬるつく水が増して広がり、ぴたりと張り付く下着に意識が回って腿や腰が震える。
腹筋を引き結び耐えたのち、はぁ……、と弱く肺の中身を零したら、佐伯くんが肘を付き顔を上げた。
やけに赤く映える舌で自らの唇をぺろと拭い、

「ここ、弱かったっけ」

右の人差し指と中指で今さっき口で濡らしたばかりの谷間を確かめて、ふっと下目遣いをし、組み敷いた私の体を見遣る。
視線の行く筋と緩やかな流れ方に頬と言わず首から上と言わず全身が燃え盛った。喉が鳴って唾液で満ちる。

「…わ…わかんない、けど…でも、あの」
「いつもがくすぐったがるのはこっち」
「えぁ…あ、なに…ぁん、んっ」

今日脱がされた時にも感じた脇腹の意識を大きな掌に呼び起こされ、びくっと跳ねた足のつま先が縮こまる。

「…で、ちょっと気持ちいいんだよな?」

遊びめいた接触が丹念なものへと様変わりして逆巻き、摩り伝い更に上り詰められるとお腹の奥が好き放題にうねってしまう。
混ぜられた肌は佐伯くんにだけ過剰に応じる。
胸の横から脇の下にかけてを揉み返し、優しいけれど加減なしに撫でられれば平気でなんかいられない。
裸の胸を下から支える手にゆるゆる揺さぶられ、思わず目を瞑って首を背けた。

「ぁ、ぁ、…ぅん、や、」
「……痛くしたら悪い」

言っておきながらちっとも申し訳なさそうじゃない上、熱情の蓄えられた声を湿らせ零す、止める気配など微塵もない佐伯くんが背中を丸め圧し掛かって来ても、何も重たくないし全然嫌じゃない。
ただ張り締まった胸板へ頬をくっつけて、あの無理なく鍛えられた腕で抱き締めて貰いたかった気はしたので、先刻の位置に戻った陽射しをたくさん浴びている割には柔らかさを保つ髪へ慎重に指を通す。
それを合図にして、揺蕩う空気が湯を注がれた泥のよう溶けた。
二つの膨らみの内一つのふちを痛まぬ程度に固定されて、じっくり舐め上げられる。
本当に久しぶりだと、恭しく味わうみたいに。
まだ上しか脱いでいないのに限界が垣間見え出した。






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