06




日々は留まりもせず続いていく。
文化祭が終わってからテニス部の出し物がかなりの色物だったと聞き及んで、見物しに行く時間を捻出できなかったことを悔やみ、白石くんにちょっと本気で嫌そうな顔をされた。
曰く、あんなもんわざわざ見に来るもんでもない。
秋が行き、張り詰める冬の香りに町中が凍りつく季節になった。
期末テスト週間に入り、テニスと勉学を見事両立している彼から苦手科目がないと聞かされ驚く。
敵なしやね、感嘆すれば、それがそうでもないんや、やんわり否定されてしまう。
冷たい雨が降る。コート練習はなしやなぁとぼやく。
うす曇りだと、心配そうに空を見遣った。
冬の日向は薄く、ぼんやりとあたたかい。
英語の授業で隣同士になって互いの小テストを採点し合った時、初めてどんな字を書くのかを知る。
当然のように綺麗で、なんというかツッコむべくもない。
一度満点を取ったら、先生よりも上手な花マルを添えてくれた。
、英語得意なんちゃうん。
自分は大概高得点なくせして、嫌味も他意もなく褒めるのだから困りものだ。
しばらくくすぶっていた好きな子おるんちゃう疑惑は打ち消されなかったが、かといって肯定も叶わない。
あれきりそういった瞬間の空白が顕れなかったので、思い違いかもわからなかった。
忘れていくのと並行して、クリスマスが近づいてきた。
華やかなイルミネーション、駅前のツリー、コンビニに陳列する商品ですら浮かれて騒ぎ出す。
天気予報で目にする最低気温に震え上がり、厚手のコートでぶくぶくに膨れた体のラインに無情を覚えつつ、校内の浮かれた雰囲気に気圧される。
彼女おらんのかな、言ってみよかな、さわさわと沸き立つ女の子たちをよそに、当の白石くんは家、学校、部活、の三点を繰り返すばかり。
疑惑が再び蘇る。
が、そんな素振りなど微塵も感じられずさっさと打ち砕かれた。
可能な限り注意深く見守ったつもりだったので、これで本当の気持ちを隠されていたのだとしたらどうしようもない。私の完全敗北である。
図らずも出会った朝の昇降口で、寒いな、と眉を下がり調子にさせて笑う様を見つめながら、そう言うあなたを温めたいとこっそり願う女子がどれほどいることか、心中で遠い目をし相槌を打つ。かじかむ指先へ吹きかけた吐息が熱かった。

判然とせぬまま迎えたイブ当日。
友達に誘われて学校敷地内の四天宝寺華月でのクリスマススペシャルお笑いライブを見た帰り、部活終わりらしい白石くんと偶然鉢合わせる。
煌々と降る蛍光灯の下、私はロッカーに入れていた私物を取りに、白石くんは靴を履き替えに来ていたところだった。
隅では暗闇がわだかまっており、吐く息が白い。
どないしてん、もう遅いで。
うんちょっと、友達に付き合うてて。
その友達は。
ええまあ、彼氏と急遽デートに。
説明していて虚しくなる。けれど恋に突っ走る背を引き止める権利も理由も、私にはない。白石くんがからかいも呆れもせず、なるほどな、と頷いてくれたのが唯一の救いだった。
ほんなら、いい子にしとったにプレゼントや。
無礼講だと特別営業をしている購買のほうへと指を差し、飲みモンごちそうしたる、ショボいけど堪忍な、底抜けにお人よしな発言をするので慌てて辞退を申し出、しかし続けられたお誘いに声帯が抑え込まれた。
買うたん飲む間、少し俺と話そ。
嫌だなどと言えるはずもない。
……話すのはええよ。けど自分の分は自分でお金出すからね。
はいはい決まりやなはよ行くで。
ちょっと聞いとった今の!?
抵抗の甲斐なく案の定易々丸め込まれた私はミルクココア、白石くんは無糖のコーヒーを掌中に収め、購買前を通りがかった学年主任の先生にもう教室施錠すんでーと促されたあげく昇降口からつまみ出された。
実際つままれたわけではないが、空気的に近いものが含まれていたのだ。
先生かて帰りたいんやから察してや。
しみじみ言い聞かせてくる姿に公務員の悲哀が滲み出ていた。
顔を見合わせる。
苦笑気味の白石くんが、コートの近くにベンチがある、と歩き始め、一も二もなくついていく。
月が出ていても空は暗い。
敷地内にはきちんと灯りがあるからまだ良いが、ろくに電灯もない通学路へ一歩踏み込めば足元さえ掴めなさそうだ。
凍てついた空気に頬が掠れる。手の中のあたたかいプレゼントが、この上なく有り難かった。
まだ片付け途中の部もあるのだろう、届くかすかな光と、頭上で灯る人工的な明かりとを体に受けつつベンチへ腰を下ろすと、スカート越しに冷え切った温度が伝わり、身震いしそうになる。
どっかと深く座った隣の彼が、ひと口分、缶を持ち上げてから言う。
最近どうや、もうかりまっか。
ぼちぼちでんな。……古ない?
底冷えする夜に震える指でプルタブを押し、湯気立つココアをゆっくり少しずつ流し込む横で、お約束言うたって、笑う声がした。
明日の天気。
冬休みの予定。
宿題をどう退治するか。
寒いだの寒くないだの、S−1GP決勝大会がああだったこうだっただの、今日の晩御飯に期待できるかできないかだの。
他愛ない話題をいくつも交え、クリスマスイブの夜にも関わらず一切の色気を排除した会話に若干目頭を押さえたくなり、でも楽しいからいいかといっぺんに片付ける。
チャンスといえばチャンスかもしれない、燃え尽きたはずだった疑念の残り火を胸に、切り出してみる。
白石くん、折角のイブやのに私と喋っててええの。
そういうは俺とおってええんか。
質問に質問で返された。
ダメやったら最初から奢って貰てないよ。
そら俺もや、あかんかったら誘ってへん。
……彼女とのご予定は?
何をどうしたらないモンの説明できんのか教えて欲しいわ。
そっか。
そうや。
声に付随する白濁とした呼吸が、唇から現れては消えていく。
この様子では、好きな子の有無を聞いたところではぐらかされるのが関の山だろう。
それに生徒の残る校内で私を誘うということは、誤解されたくない特別な存在が本当にいないのかもしれない。
年に一度の今日、想いを寄せる相手と過ごすのがベストだと思うが、肝心の対象者がいなければ論じても仕方のないことだ。彼氏もおらず友達にも置いていかれた私が、白石くんと過ごせる幸運に感謝しよう。
そして、幸運の源である尊い心遣いにも。

「こんだけ白石くん優しいひとなんやもん、きっといいことあるよ」

大丈夫。神様、案外ちゃんと見とるから。
勿体なくてちびちびとしか飲めないプレゼントは、時々向けられる彼の眼差しみたいに甘い。

「……あったら嬉しいな。祈っといてや、

ぼんやりとした灯りが天からの恵みのよう降り注ぐさ中、とろとろと夜へ流れる言葉尻がいつまでも耳に残った。
冬休みに突入し、あっという間に大晦日を迎える。
晴れた日の星は澄んだ空気に映え、柄にもなく見上げたりして考え浸った。
白石くんにいいことがありますように。
年が明けた。
久々の学校で、あけましておめでとうと言い合った。
初詣で引いたおみくじが大吉だったとの報告を受け、いいことあったんやね、休み中祈った甲斐があったかもと少々はしゃぎ気味に返す。
祝われたほうはというと、これで打ち止めやったら嫌やなぁ、困り顔をし、逡巡させた左手で後ろ頸を掻いていた。
気持ちを新たにするより早く、狂乱のバレンタインがやって来て、またしても白石くんの名が女子達の間で囁かれるようになり、全学年入り乱れての告白週間かというほど浮き足だって、しかしいかなる気持ちにも頷かない様子に潮が引き静まっていく。
あまりの鉄壁ぶりに二月十四日へ辿り着く前に戦前から退く者多数、それはそれは身につまされるものがあったが、疲労を垣間見せる世紀のモテ男と話しているとどうしても言えない。せめて受け取るだけでも、などと軽々しく口にできなかった。
貰うんなら、好きな子からだけで充分や。正直あとは欲しくない。
ぽつりとこぼす声音が真摯に過ぎて、ぎこちなく首を縦に振るのに精一杯である。
調子に乗ってもおかしくない状況でも晴れ晴れとはしていない表情と、机、ロッカー、靴箱、あらゆる場所で溢れかえる可愛らしい包みに圧倒されて迷っていたけれど、ここまでお世話になっておいて何もないというのも薄情だ、断られたら自分で食べようと決意し、バレンタイン本番の呼び出しもやっと落ち着いてきた時間に問うてみた。
あんね、どうしよか迷ったんやけど、私のは義理やから除外されるかも思て。
廊下の突き当たりで振り返った白石くんが目を丸くする。
けど、うん、されたとしても、食べきれんくらい貰てるやろから遠慮せんで断ってな。
今までいっぱいありがとう。
差し出したちいさな箱を、受け取る大きな左手。
視界に映る包帯の白に弾かれて見遣れば、最近隠れがちになっていたたおやかな笑みが在る。
おおきに。
彼にしては珍しく簡潔極まりなく且つ質素であったが、端から端まで感情の籠められた返礼だった。短いひと言の内に、溢れかねないやわらな音が含まれていた。
真実かどうかなんて問題ではない。そんな風に感じられたことが、嬉しかった。
雨は雪混じりになる。
寒さがゆるんだり、厳しくなったりを繰り返す。
暦の上では春ですねと言われて久しく、あまり実感の沸かぬまま羽織る上着に頭を悩ませたりした。



巡って――四月。
貼り出されたクラス替えの表を中心に、人だかりができている。
何組や、うち三組、嘘やん私五組やあ、俺の名前あらへんで、んなわけあるかい。
思い思いに話す人波をかき分けながら、見飽きた漢字を丁寧に探す。
結構なクラス数があるというのに、何故古風な発表方法をとるのか理解し難い。
皆不満を訴えないのは、既に悟っているからだ。
なんやそっちのがオモロそうやん。
四天宝寺中においては校長ですら口にしかねない台詞で却下されるのがオチだろう。
一組分を見終え、自分の名が載っていないのを確認し、隣の二組へ横滑りに移動する。
そう労せず発見が叶い、後のひとの邪魔だろうかと両足を後退させ団子状態の輪から遠のいたところで、しまった、と心の中で舌打ちしてしまう。
気になる名前のひとつを探せていない。
些か迷ったのち舞い戻りかけた背を、見上げる高さから降る呼びかけが叩く。



反射的に振り仰げば、春の日差しにまどろむようにして、探し人が立っていた。

「あ、白石くん!」

軽く首をゆする仕草が柔い。
淡くなった目元は喜色に染まり、引き寄せられた私は、何組やった、問おうとしたが叶わなかった。

「自分二組やったやろ。俺も二組。また一年、よろしくな」

言いたかったことの半分以上先回りされ、意気込んでいた肩が外れるかどうかの瀬戸際だ。もう少しでずっこけるところでもあった。あぶない、と息を吸って吐く。

「うん。私のほうこそよろしく」

おう。
投げられた返事は気安いけれど、乱暴ではない。
親しみの籠もった音色に、なんだか胸が浮き立って嬉しくなる。
長い冬を抜け、ようやく出会えたと感慨に耽ってしまう陽気の所為かもしれない。

「っちゅうわけで俺、聞きたいことがあんねや」

不意に息を切った白石くんが、制服のポケットを探りながら続ける。
私に質問とは珍しい、逆ならたくさんあったのだが。
なに、疑問符をつけ好奇心と一緒に待っていると、シンプルなカラーの携帯端末を掴んだ左手が掲げられた。

「番号教えて。ほんまは前から聞こう聞こう思ててんけど、なんや機会逃してしもた」

迅速な対応ができず、ひたすら目をしばたたかせる他ない。
それぞれ意味を持った欠片が点在しているのだけれど、上手く結びつけることができない。
見かねた様子の白石くんは微苦笑しつつ、お近づきのしるしにどうですか、などと今更にも程がある決まり文句を並べたりしている。
それが発端となり、熱を上げていた夏が脳内で再生された。

「あ!」
「ん?」

苦い記憶が始まる前のことだ。
好きな人や恋愛関係の話をする間柄にもかかわらず連絡先の一切を知らない、学校が始まったら聞いてみようか、と考えていた時期がたしかにあった。

「私も聞いてみよかなって時あったんや、あったんやけど……」
「…けど?」
「……うん、それがちょうど去年の夏休み中で。ほら私休み明けたらすぐフられたやん、告白するまでもなく。色々あって…、で、そのまま」

当初訝しげな面持ちだった白石くんは、こちらが最後まで言い終わるより先、途中で察したらしく得心したとばかりに頷く。
勿論、思いやりの眼差しもついてくるのだからどこまでも隙がない。

「タイミング悪かったなぁ」
「ほんまやね。二人して同じこと考えとったのに」
「ま、そういう時もある」

深刻に沈み込ませず、あえて鷹揚に流すその心が綺麗だと思う。
勝手にこぼれる笑みは快く、春爛漫の今日に相応しいぬくもりを放ってい、元から調子のよかった胸中を更に舞い上がらせていく。
互いの携帯を突き合わせ、ちょうど白石くん何組か調べるとこやったん、そこはタイミング合うてんねんな、会話と呼べぬ程度の言葉をいくつか積み重ねた。
送られきた情報が、白石蔵ノ介、ととっくに知っているはずでもどこか新鮮に見える名前を画面越しに映し出す。
一年近い付き合いのある友達なのに、不思議と面映い。
妙にたるんでしまう口元を紛らわす為笑ってみせると、ゆるく目を細めた彼が同じよう応えてくれた。


かくして四天宝寺中で過ごす最後の一年が幕を開けたのである。





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