09




しばらくは行き場のない感情に悩まされた。
だれに話せるでもなく、ただひたすら自分一人で飲み込んでいくしかない状況では、足掻くだけ余計抜け出せなくなる。
なにより白石くんの顔をまともに見られなくなったのが一番の問題だ。
元々疎遠になっていたのならまだしも、ある日を境にわかりやすく避けてしまっては、一体なにがあったと問われてもおかしくない。
けれど彼は黙して語らずに、どんな傷にも触れない優しさで、一定の距離を保ち続けた。
露骨に視線を合わさない、合わせられない私に決して理由を聞かず、涙など初めから目にしなかったよう振る舞い、どうした、のひと言すら口にせぬまま親切なクラスメイト、よき友人といった尊称に相応しく在ってくれた。
それは当たり前のデリカシーだ。
いつかの私が、片想いしていた相手には不足していると唱え、白石くんを見習ってほしいと嘆いたもの。
とにかく現状維持に精一杯だった最初の内ならばまだよかった。
何事も問われぬ間に袋小路へ追い立てられ疲弊した体や頭を休めることが叶ったし、ひどい態度を取ってしまっている自覚があったから、怒るでもなく悲しむでもない彼に安堵していたのも否定はできない。
でもそうしてひとつ乗り越えると、見るに堪えない欲がお腹の下から溢れ出す。
――やっぱり私やダメなんや。
込み上がる激情と共に囁くそれが醜く歪んだ。
中学二度目の失恋をした私に対する完璧なまでの行動や仕草には打ち崩す隙などなく、他への配慮に満ちていること自体がすでに止まりかけている息の根を叩く。
なにも求めず、少しでも傷つく可能性があるなら話さないで、無遠慮に踏み込まない。
万人が真似できる行為ではないだろう、素晴らしいと褒めるべき美点だと理解しながら、一方で恨み言を吐いてしまうのだ。
関わらせてももらえない。
私の気持ちも、白石くんの気持ちも、まったく関係のないところで育まれ、べつの方向を向いている。
聞かないでいてくれるのはありがたい、思うそばから、どうしても聞きたいことでは、聞くほどのことではないのだろう、体の芯が腐って膿んでいく。
こんなのは、眼中にないと宣言されているも同然だった。
何度振り払おうとしても思考は重く垂れこめて、白石くんの優しさを受け取れない自分が嫌で嫌でたまらない。
ほんの少し前、決定的な言葉を耳にするまでは素直に感謝することができたのに、想えば想う分性格が悪くなっていく気がして、性懲りもなく泣きたくなった。
あんなに楽しかった日々が色褪せ、泥を被り朽ちていく。
一緒にいれば簡単にこぼれた笑顔も、今ではどうやって作るんだっけと思いつめる有り様だ。



「まともに話すの、なんや久しぶりに感じるわ」

整理もけじめもつけられぬまま、秋以降待ち構える行事に備えてのアンケートを回収するついで、二言三言交わした後のことだった。
ふいに表情をゆるめた白石くんが、ぼんやりとした音色を奏でたのだ。
運悪く居合わせてしまった放課後から、一ヶ月近くは経過していたと思う。
急速に渇きを覚える喉を振り絞り、形だけでもどうにか続ける。

「……ごめん、私」
「ああ、ええて謝らんでも。俺こそごめんな、責めてるみたく聞こえてしもたか」

肩の力を抜いて微笑むそのひとが、変わらぬ穏やかな瞳を湛えていた。
窓の外では厳しい残暑が遠のきつつあって、夜になれば大分過ごしやすくなる季節、否が応でも去年の出来事を思い出す。
アホ武道会の準備中に雨に降られ、用具倉庫に駆け込んだ。はじめての近さに心臓が縮んで、ぬかるむ足元を支えてくれた手の感触を一年越しに思い知る。
どうしてあの時に気づいておかなかったのだろう。
せめて欠片のひとつだけでも掴んでおけば、自覚と同時に失恋を味わう羽目にはなっていなかったかもしれないのに。
次から次へと後悔が滲んで止まない。

「そんなふうには、思てないけど…、でもあの、やっぱり色々ごめんて言うんが一番合ってる気ぃするから」

ひたすら避けて離れていけたらそれはそれで楽だったに違いないが、区切りがつけられず苦しんでいる今現在、できそうもないと確信に近い予想を立てた。
いつかも跳ねる笑い声をこぼした廊下の隅、ガラス窓には私と彼の姿がうっすら霞のように映っている。
そうか。
言葉少なに応じる白石くんが瞳を閉じて、それからゆるやかに持ち上げた。ふるえた睫毛は長く、何度目にしても綺麗だ。

「ほんま、今まで迷惑かけっ放しでごめんなさい。これからは、頑張って気をつける」
「……最後みたいに言うなぁ、
「え?」
「今までお世話になりました、感謝してます、ほなさいならーて後についてきそうや」

当たらずといえども遠からず、鋭い指摘に一瞬呼吸が潰え、

「べつに最後のつもりとか…な、ないけど」
「けど?」

歪み曲がった声を握る、たったひと言が胸の奥へ深く食い込む。
思わず見遣り、偽りを許さぬ強い意志の宿る眼差しと鉢合わせた所為だ、うまく二の句が継げない。

「けど……あんま私とおったらあかんと思う。誤解されて困るんは、白石くんなんやから」

震える声帯の下、うねる身勝手な憤りが悲鳴をあげた。
本当は言いたくない。口にして現実のものと認識したくないのだ。その通りだと引き下がられても、そんなことはないと否定されても、どちらにしたって辛くなるのに、わざわざ明確に炙って傷つきたくなかった。

「……またいらん気ぃ回す。ええから自分の事考えなさい言うたやろ」

だが当の白石くんがそれを許してくれないのだから私は歯噛みして従うしかなく、項垂れる心中に巻き込まれた骨が重さに軋む。

「…いらん気なんか回してへん」
「どっからどう見ても回しとるて。大体、俺が嘘ついとったらどうするん? 、一人相撲して損するだけやんか」

幼子を言い聞かす口調に錆びる心臓がひどい音をかき鳴らし、奥底まで届く杭も払う勢いで暴れる。
彼が言葉を並べれば並べるだけ距離が開く心地に、目の下で水気を含んだ膜が張った。

「ついてへんよ。やって白石くん、あそこで嘘つくひとちゃうもん」
「…買い被り過ぎやで、俺を」

溜め息とも取れる呼気がいやに長く残り、語尾はどこからか吹き込む初秋の風に薄れなびいていく。
もうここ最近ずっと、自分のことしか考えてへんよ。
とは言わない。言えるわけがない。締めつけられた喉が狂おしげに泣いた。

「……あんね、ほんまに感謝しとるんや、私」

私にとってひとを好きになることは楽しいことだった。
夢中になって追いかけて、他愛ないことで幸せを噛みしめ、一緒に帰る理由をどうにか探し、ああでもないこうでもないと悩んだりして、それすら想いを彩る糧にして膨らんでいく温度を大事に抱える。
勿論、悪意なしにそっけなくされた日は切なかったし、失恋の喪失感については今更語るべくもなく大泣きしたので輝かしい思い出ばかりだったとは言わないけれど、ほとんどの時間は幸福に満ちていた。
だから恋い慕う気持ちより、苦しみのほうが勝るだなんて考えもしなかった。

「助けて貰てばっかりで……お返しせんとね」

一年前、叶わぬ想いに焼かれた時も、絶対に届かない距離をむざむざ押し広げられた日とて、ここまで打ちひしがれ喘いだことなどない、何故だろうと理由を問うてすぐさま蘇る情景によって導かれる。
白石くんがいてくれたから。
泣きたい、悲しい、苦しい、辛い、ネガティブな感情で崩れそうになる時、いつだってそばで優しくしてくれたからだ。
何度となく気づいては感謝してきたではないか、自分の内から訴えかけてくる声が虚しい。
解の頂点へ達するや否や、急降下していく心がひび割れていく。
今は違う。
違うと言わざるを得なくなってしまった。
私は私ひとりの力で、両の手には重すぎる報われぬ気持ちを抱えていくほかない。
頼れないし、頼ってはいけないのだ。

「白石くんみたいに無駄のないアドバイスとかは多分できひんから、期待せんといて欲しいんやけど。でも、できることがあるなら…手伝う」

だって、彼には好きなひとがいる。
一番大切な、その子以外とは付き合いたいとは思えない、ただの友達でしかない私でさえ充分すぎると腰が引けるほど優しい彼がもっと特別に優しくしたいと願う相手だ、それを前にしてなにを告げろと言うのか、諦める以外の選択肢が浮かばないではないか。

「もし、ちょっと困ったことになってもうて、ほかに話せるひとがおらんのやったら言うてね。秘密にする。話聞くし、こうしたらええんちゃうかなって、一緒に考える。……白石くんが、私にしてくれたみたいに」

だけれど感情は大人しく従ってくれず、嫌だ、どうして、なんで、ずるい、延々と駄々をこね、顔も名前も知らぬ白石くんの想い人にいびつな嫉妬をぶつけてしまう。
あなたはいい。
なにもしないでいても、彼に好かれている。
私とは違う。何もかもが。天と地ほども離れているだろう、これくらいは許されると思いたい。
だってこうでもしないと一緒にいる口実が作れない。
嘘と本当を更なる嘘で塗り固め、だれに責められたわけでもないのに言い訳がましく無音のまま訴えると、沈み静寂を纏っていた空気がかすかに泳いだ。

「…秘密、か」

窓のほうへと目線を落とし、ぼやくひとの顔色が翳ってよく掴めない。
が、応じないで立ち尽くしているわけにもいかず、黙って頷いた。

「俺の話聞いて、一緒に考えてくれるんやな。が」

つい先ほど伝えたことを重要事項のよう丁寧に繰り返す様は、少しばかりいつもの彼と異なっており、何事かを確認する雰囲気が漂っている。
言った本人にそんなつもりはないのであろうが、この先へ進めば戻れない、最後通告じみた言を寄越された心地だ。

「うん」

だけれど首を横に振りはしなかった。

「前も言うたよ。ほら、文化祭の時。あんま役立たへんかもしれんけどって」

無意識にそれらしい理由を探し出し、唇で紡いでしまうのだから、自分で自分が恐ろしい。
彼ばかりか自分にも嘘をつくことに、こうやって麻痺していくのだろうとも思った。
肺が淀む。
こうも嫌な子では好きになってもらえるはずがないと腐っていく。

「……そんな事もあったな」

ふと在りし日を懐かしむ声が落ち、続いて絶望のひと押しが烙印された。

「ならお願いしよか。太っ腹なに助けて貰お」

あたたかな、だとか、やわらかな、だとか常に肯定的に称えてきた笑みに痛めつけられる。
自業自得だ、こうなることを想定して言ったのは自分のくせに。
開いたばかりの傷口へ深々と刺しこむ刃を堪え、ぐっと息を詰めてやり過ごそうとした一秒、白石くんの整ったかんばせが痛切に崩れた。

「せやから、俺の事避けんといて」

困り顔に諦めの色が混ざり、しかし微笑む形も消えていないので、何と表現すべきか咄嗟には判断がつけられず迷ってわずかながら時間を浪費する。

「…………避けてない」

懇願にも似た声音にうろたえていたのだろう、手間をかけたわりに幼稚な返答をし、目線をきもち斜め下へと移した。
肯定しようが否定しようが、頷こうとも首を振ろうとも、何にせよ相応しくない気がする。
そもそもの前提が間違っているのだ。
避けていたが、避けていない。
私が直視したくなかったのは多分、白石くんではない。
が、そう易々と正直に心情を語れるわけもなく、伝えたい本人には案の定肩を竦められてしまった。

「さてどやろなぁ、信じたりたいけどいまいち不安や」
「さ、避けてない。ちょっと色々…考えとっただけ。……自分のこと、とか」

嘘は言っていない、じりじり焦げつく胸底を鎮めようと懸命に言い聞かせ、どこに置いたらいいのか最早わからなくなった視線をあてどなくさ迷わせる。
皮膚の下で血液が熱くうねり、何故だかつむじが痛かった。
肩がそわそわと落ち着かない。窓や床越しに届くたくさんのささめきに薄皮一枚の厚さでくるまれてしまった錯覚だ、思うように動けず息を殺す。
そういった私の事情を知ってか知らずか、少しの間じっとこちらを見澄ましていた白石くんはややあって、わかった、とだけ呟いた。

「けどもっぺん言うとく。ほんまいらん気ぃ遣うんはナシやで。あんなんでとの縁、切れたら俺寂しゅうて泣いてまうわ」

先程までの生真面目な顔つきや口調はどこへやら、切り替え上手らしいふざけた物言いによってあたりの空気がやんわり砕け、気が抜けていく。
潜んでいた呼吸もあっという間に蘇った。
強張っていた口元がゆるむ。

「…変なことばっか言うて。白石くんのアホ。嘘つき」
「こら、さっき俺は嘘つきちゃう言うてたんはどこのどなたさんやったっけ?」

これだから嫌なのだ。
暗がりに落ち窪む一方だった気持ちが、たったのひと言で浮上する。
笑い方がわからないと凝り固まっていたものが、際限なくほどかれ綺麗に溶けていき、唇の端くらいなら笑みが滲んでどうしようもない。
優しく抉られる胸元はたしかに痛みを訴えているのに、そばにいて、友達としてでも何でも必要とされる喜びに沸いてしまい、どれだけ辛くてもやっぱり好きだとしか思えなくて、絶対に嫌いになんてなれない。
もうやめたい。
好きでいることをやめてしまいたい。
全部失くして友達のままずっといたかった。
不可能な未来をあげ連ね、無理だと一番よくわかっている自分自身が滑稽で、いっそ消えてなくなりたいと希う強さで望んでいたとて、彼の一挙一動ですべてがひっくり返っては様変わりする。
あまりの目まぐるしさについていける気がしないけれど、根底に根づいた好きだという感情が揺らがないから嫌でも従うしかなかった。
――こうして慣れていくしかないのかもしれない。
心の鍵をそれとは知らず握ったひとに、気持ちを委ねたまま。
呼吸を喉の下で踏みしめて、軽口を叩く。
はい私です、ごめんなさい。
受け取ってくれた白石くんが、息を揺すって笑った。
よし、ちょっとは元気出たみたいやな。
途端、肺と心臓の両方を鷲掴みにされ眼前の景色が切なげにたわんだ。
友達でもクラスメイトでもない、関係性を当てはめられぬほど遠くにいたらここまで苦しまずに済んだ、会話がなければ寂しいと素直に訴えるひとでなかったら、友達を大事にするひとでなかったら、胸どころか体のすべてを締めつけられる痛みに襲われることもなかったのに。
無意味な仮定を打ち立てちいさな嘆息を吐く。
そもそも元気やもん。
やわな強がりで涙の気配を跳ね除けると、安堵に浸り、真実ぬくもりの感じられる声色が空気を震わせるので、私はこの心の行く先を決めざるを得なかった。

「そら何よりや。そのまんま、元気でおってな」

なにがあっても、どれほど傷ついても、不毛な片想いを続けていくしかない。
日の光の差した白石くんの瞳が、笑む一歩手前の透明な色に満ちて輝いている。



聞き分けのない自らに白旗をあげたからなのかは定かでないが、以降の毎日は加速度的に通り過ぎていった。
目白押しの行事も、卒業まで残り幾日と学年全体を煽る雰囲気も、受験生らしく机にかじりつく時間も、留まることなく進んでゆく。
限られたその中で、私はいつも白石くんを探していた。
教室、音楽室に向かう途の廊下、体育の授業中、食堂、お昼休みの校庭、テニスコート。
高い背に準じて足も長い為に目立ち、大抵華やかで賑々しい空気を纏っているから、見つけ出すことはそう難しくはない。
日焼けの色がゆっくり抜けていく腕と、手を引かれて見上げた広い背中、耳に優しい声、特別なものは数え始めるときりがなかった。
、誰か探しとるん?
熱が入るあまり、不思議そうな面持ちで女の子の友達に尋ねられては肝を冷やす。
悟られたくなければ自重すべきだと頭で理解していても、行動にまで反映させるのはなかなか労力を要した。
元々恋愛感情が混ざると無意識だろうが意識してだろうが追いかけてしまう質なのだ、気づかぬ内にそれとわかる視線を投げていたら恐ろしい、寸前で自制を促すきっかけを作ってくれた友人に感謝すべきなのだろう。
ううん、探してへんよ。ただ、にぎやかやなって。
取り繕い、へらへらと笑う。この頃の私は声や表情、何もかもに偽りを紛れさせている。
ああうん、目立つもんなぁ、白石くんと忍足くん。
予期せぬ名前の出現に両肩が竦んだ。
眼差しを華やぐ座へと移している友人は気づかない。
あの二人夏まで部活三昧やった反動で今めっちゃ構われとるよね、うーんと、約三年分? しゃあないけど、引退しても忙しいて大変そう。あっ、ほんでな、白石くんなんかこないだまた告白されたらしいで、まあ例によって断ったみたいやけど。
記憶に仕舞われていた情報が鼓膜を打つ。
胸の奥が凍えて寒い。
彼女の言葉通りである。部長という肩書きを取り払い、ありったけの情熱を傾けていたテニス部を引退した白石くんは夏以来、邪魔になってはいけないと口を噤み、ひそやかに想いを育ててきたいじらしい女生徒たちから好意を手渡されているのだ。
あまり知りたくないことだけれど、関わっていなくとも耳に届くのだから、どうしようもない。
二人で他愛ない会話をしている最中、呼ばれて向かう姿を目撃した時だってある。
声をなくす私に対し、ちょっと行ってくるわ、困り顔で囁く彼は本当に罪深い好青年だった。
友達として優先されるのは嬉しい、でも同じくらい辛い。
二の次にされたら悲しいくせして勝手なことばかり考えた。
あんだけモテんのに絶対誰とも付き合わんよね、なんでやろ。
別段気にしているふうでもなし、なんとなく問いかけている口調の友人へほつれた繕いの微笑みで同意する。
ほんま、不思議やね。
言っておきながら、私はきちんと知っている。これ以上ないほど単純で明快な理由があるからだと。
堪えきれず、行こう、と促し座っていたベンチから立ち上がると、無理やってわかっとっても言いたなる気持ちもあるんかな、後に続いた友達の発しする感じ入った音程が心の淀み濁った部分を叩き潰した。
返事はできない。ただ無言を貫いて、ひとの輪の中心で笑っている白石くんを背に歩き始める。
覚えがない感情ではなかった。
私は時々、傷つきたくないはずじゃなかったのか、いっそ無惨に傷つきたいのかと自問自答する破目になることを尋ねてしまうのだ。


「白石くん、最近は大丈夫? うまくいってるん?」

いつだったか彼がかけてくれた気遣いを形だけそのまま返し、含めた意味の差に自己嫌悪する。
変わらず言葉を交わすようにはなったが、やわらかな音のこぼれる唇からは助言の希望どころか想い人の委細すら伝わってこない。
どんな子が好きなのか、どんな子を好きになったのか、まったくと言っていいほど不明のままでわけもなく不安感に駆られた。
あるいは直接聞き覚悟しておかなければ、前触れなく突然付き合うことになったなどと告げられた場合が恐ろしい、という後ろ向きな積極性の発露かもしれない。
それからあとはやはり、これまで散々助けてきてもらった事実があった所為だろう。
つきまとう負の感情は切り離せないにしても、白石くんがいてくれたおかげで乗り越えられたのはたしかで、あのあたたかく頼もしい支えがなければどうなっていたかわかったものではない、考えてみるだけで怖くなるような思いを彼には味わわせたくなかったのだ。
ここで自分のことばかりになるレベルに落ちていなくてよかった、妙な安堵を表へ出さずやり過ごし、日直の仕事に精を出すひとの答えを待つ。

「えらい唐突やなぁ」

だれかが開けっ放しにしていった窓をひとつひとつ閉めていく指先が美しい。

「…やって白石くん、なんも言わんから。平気なんかなって」
「話せるようなことがないだけや」
「…………私が相手やから?」

そのひと指が、ぴくりとふるえて動きを止めた。
やんわり細められていた瞳が見開かれ、精悍な頬や顎のラインは傾きつつある日差しに映し出されている。
声を奏でようとし、半端な形で立ち止まった唇の端がかたく強張って見えた。
踏み込みすぎた、余計な口出しだっただろうか。
時間や感情、呼吸さえ失った一瞬の白石くんに違和感を抱きながら、恐る恐る続ける。
やっぱ私やと頼れないんかな、力になれそうもない?
言い終えて二秒ほど経ったあたりで、自然と張り詰めていた空気がしなり、深い深い息遣いが響いた。

「……アホ言いなや、。そういうんとはちゃうから。頼れんとか助けにならんとか、思ってへん。……思うわけがないやろ」

ガラス窓とお見合いする姿勢で立つひとが、おもむろに掲げた左手で自らの前髪を覆い乱雑にかき乱す。
何故か動揺のひと言が相応しいと感じてしまう仕草に釣られて、彼から見てやや後方の席に座っていた私は提出が明日に迫った課題のプリントに向かう手を止め、夕陽一色に染まろうとしている窓際へ目先を遣った。

「う、うん。ならええんやけど。あっ、私はだけど、あの、白石くんはいいことあらへんよね」

話せることないて深刻やもんね、ごめん、付け加えるより早く、剥がれかけの掌と前髪の間から覗いた片目に射止められる。
優しくも甘くもないひと筋の強い光が宿ったそれは、縮んで竦む私の心臓などまばたきする間に掴みあげ呼吸の余裕を奪い取った。
キンと頑なに閉じた空気が耳に痛い。
おおよそ受け取ったことのない眼差しに恐れすら抱いていながら、引き離せない目が乾いていく。
鼓動は体を叩き折る勢いで跳ね、膨張する熱によって喉が苦しげにあえいだ。

「ご……、めん、なさい」

気圧され掠れきった声が自分のものではないみたいに聞こえる。最早何の謝罪かこぼした私自身理解していない、けれどそうせずにいられなかった。
とても信じがたいことに、白石くんが怖い。
似ているものの怒りとは違う。失望とも異なり、突かれたくないところを無遠慮に掴まれた振る舞いに対する防御でもない、感情を伴わぬ怒気だ。
しかし、ひた隠しにした内側でなにかが声なき声をあげていることだけは伝わって来、いっそうどうすればいいのかわからなくなった。
日ごろ浮かべている穏やかな笑みと比べれば、すっかり色の失せたとしか表せない顔つきに頭が冷える。
離せずにいた視線をおどおどと外し己の手元を見つめたあたりで豪快にカーテンが引かれる音がして、異様に長く感じられた今さっきの時間はたかだが数秒の出来事だったのだと気がついた。

「いやいや、謝るとこ違う。に言えん俺が情けないだけなんやから」

その証拠に、さっと立て直した表情で常と相違なく話す白石くんは、嘘みたいに怖くない。
萎む緊張に自由な呼吸を許された胸元がゆったりと上下したが、鈍りに鈍った把握能力は軋んで異変を訴えている。

「ううん……いらんお節介やった。ごめんね、無神経なこと聞いてしもて」

ようやく転がすことの叶った単語はありきたりで、琴線に掠りもしない陳腐なものだったけれど、窓の鍵を器用にくるりと半回転させる彼は薄く笑んで応じてくれた。

「別に構へん。腫れ物に触るような扱いされたら、それはそれでしんどいしな。でも言えるだけのことがないっちゅうのはほんまやで」

教室の後ろ側から始まった窓の施錠は、残すところあと一枚になっている。
やわらぎつつある日光に滲む白いシャツが淡く視界に映えた。
襟足の散る首が、焼けた跡じみてほのかに赤い。

「…話したこととか、ないん?」

その子と、などと気安く口にはできない。
したが最後、またみっともなく泣き腫らすか嫉妬に襲われるか、苦しみに耐えなければ立ち行かなくなるに違いない。

「それは流石にあるで。なくて今の状況やったらストーカー一歩手前やんか、俺」

四天宝寺中の、いや世の恋に悩む人たちからクレームがつきそうな発言だ。
だけれどここで指摘してもなにかが好転するとは思えない、あえて見過ごす。

「よく話す?」
「せやな」
「……一番優しくしとる?」
「つもりなんやけど、通じてる気がせえへん」

驚くべき申告に胸がざわついた。
このひとが意識して気遣っているということは、私が受ける温情以上に特別優しくされているはずである。
にもかかわらず相手方には届いていないとなれば、どこまで鉄壁な女の子なのだろうか。
急激に溢れてゆく暗い感情が爪先まで伝い渡って、お腹の中が重くなる。
なんで聞いてしもたんやろ、こんなん聞くだけで落ち込むのに。
独りごちた音のないぼやきに中身など存在しておらず、ひたすら空虚に響いて切ない。

「…………そっか。前途多難、なんやね」

それでも舌の上を滑る言葉は彼めがけて転がっていく。
私はね、多難どころかもう前も後ろもよう見えへんよ、どうしたらええんかな。
途方に暮れた本心を形にできるはずもなく、既に隠した気持ちでいっぱいになっているところへ無理矢理押し込み喉を湿らす。飲み下した唾が苦い。
しかめっ面で耐えていたその時、やけに渇いた笑声が肌へ染み込んだ。
はっと鼻先を持ち上げる。
こちらの限界まで殺した声を彼は気遣いだと取ったのだろう、もしかすると困っているのやもしれぬ、けれど否定はしていない、どこにも行けず切なくひずんだ微笑みが在った。
たとえようもなく美しかった。

「多難もええとこやな。に言われるんが、一番……、」

言い差し、途切れる。
最後の鍵がかちりと回って落ちた。
窓の向こうで流れる夕陽はその腕を長く伸ばし、校内ばかりか街並みすべてに触れる勢いだ。
暮れかかる光の粒子は数え切れない。髪に、睫毛に、頬に、肩に、白石くんに降り注いで周りの情景との境を曖昧にさせる。
佇む姿から体温が滲んでいて、あらゆる建物に凭れかかって傾ぐあかね色の日差しと混ざり、熱を帯びているよう映った。
真夏の名残を引きずる半袖のシャツが、かすかに甘く透けている。
清潔な白と、その下の肌合い。
腕の形に添う影は薄れながらもしっかりとした質感で描かれていた。
がらんどうとなった頭は働かない。
私はほとんど、なにも考えずに舌を丸める。

「やめたいて思ったこと、白石くんはあらへんの」

聞いたこともない悲しい声だった。白石くんの落としたそれは、どんな言葉よりたしかな説得力を含んで語りかける。
好きなんだ。
好きで好きでどうしようもない。
そう思うのに、思うだけで、進めもしなければ後戻りなんてできるはずもなく、無力にも立ち尽くす。でも諦められない。叶わないとわかっているのに、気持ちを止めることがすごく難しい。出口などなく堂々巡りだ。
覚えがあった。
当然だった。
身を以って知っていた。
べつの方向を見つめながら、近しい感情に苦しみあえいでいる。好きなひと、いや自分自身にすら放り出されて、なにもかもが覚束ない。きっと、私と同じなのだと。
だからつい口走ってしまった。
そうして悪ふざけに興じることはあってもいつだって正しく、聖人じみた慈愛に溢るるひとを不敬にも己と重ね合わせ、無闇に寄り添おうとした浅はかさを引きずり出される。
答えを得てからようやく、聞かなければよかったと後悔した。

「ない。俺は、一度も」

真摯な瞳に跳ね除けられて息を断たれた。
声色、一言一句に渡るまで強い意志に満ち、指先ひとつ触れる隙さえ与えられない。
見据えてくる眼差しがあまりにもまっすぐ過ぎて、謝罪も口に上らず潰える。
押し砕かれた心は悲哀を叫び、眼前の情景が失せていく。絶望。浮かぶ二文字は切実な私を真っ逆さまに叩き落とす。
窓に背を向けていた白石くんが歩き出した。
何気ない仕草の詳細をあげてみても、いちいちかっこよくて、過ちを踏まず、眩しくて綺麗なひとだった。
――覆らない。
この恋は、彼の想いは、変わらないし変えられないのだろう。
ひどく冷静な観点で結論づける私は尚も抗い、何度傷つけば諦められるのか、なんてぼんやり考えている。



武道会や文化祭、去年のような幸運は降らなかった。
自覚した途端に取り上げられた機会を惜しくないと言い切っては嘘になるが、今二人きりにならずに済んでよかったと安堵する気持ちのほうが上をいく。
もしなにかしらの弾みで、万が一悟られでもしたら、いよいよ生きていけない。死なないにしろ学校に行けなくなる。
冗談でなく本気で恐れ、訪れぬことを祈るばかりの未来に身を竦ませた。
しかし細心の注意を払ったおかげか、秋を驚くほどあっさりと超えていく。
二大イベントのどちらとも晴天に恵まれ、つづがなく準備と本番を終え、それぞれの役割に徹し続けた。
ふざけていても真面目に打ち込んでいても、彼は皆の、特に女の子たちの注目を浴びる。
会えば話す。
話している内に知らず知らず笑みがこぼれる。
息するみたく好きだと思う。
だけどどうしたらいいのかはわからない。
時々胸が高鳴って、時々切に引き絞られた。
落差に揺さぶられ惑い、一度決めたことにも関わらず、同じような場所を掘り返してはぐずぐずと混ぜひとり困窮する。
なんで好きになったのだろう。
過ごしてきた日々を丁寧に洗えば、まるでつり合いが取れていないことが身に染みて、片想いするには分不相応な相手としか言いようがない。
どうして白石くんを選んでしまったのだろう。
辿り着いた直後、思い出が蘇った。
好きになるひとを選べたらよかったのかとぼやき、静かな同意の声。
それから、否定。
だとしたらこうして話す仲にはなっていないし、選べなかったからこそ元気を貰えたのだと、笑んでいるのにどこかが詰まった表情で呟き落とす。
まだ素直にありがとうと感謝し、そばにいるのが彼でよかったと心から思えた頃。
あのままでいられたら違ったのかもしれない、闇雲な現実逃避に耽って、だけど結局は好きな子がいると知れば嫌でも自覚しただろう、自らの思考に打ち砕かれた。
仮に選べたとしても、おそらく大差ない。視線の先、鼓膜がよく働くところ、白石くんへ向けられていくに決まっている。
だってあんなの、好きにならないほうがおかしい。
見込みの薄い片想いを応援してくれ、破れたとて突き放さずひたむきに慰め、一番辛い時、悲しくて涙が止まぬ日、失恋という現実を目の前で広げられて呆然とするほかなかった午後、まるで線引きしたみたく決められた距離を守りながら優しく接してくれたひとを、どうやって好きになるなと言うのか。
無理だ、どれだけ心が強かったとしても私には不可能だとしか思えない。
弱っていて辛かったから。
白石くんがあんまりにも優しいから、知らぬ間にずっと支えにしていたから。
言葉にはせず、だれかにこぼすでもなく惨めな言い訳を連ねてしまうのは、信じられないくらい重たくのしかかる罪悪感の所為だ。
ちっとも一途じゃないし、他人に羨まれるほどのものなどひとつとして持ち合わせていなければ、一生懸命でもないくせに身の程を知れ。
言うはずがない。
彼は知らない。
あれだけ泣いて、上手く切り捨てられずしこりを残し、散々人様に寄りかかっておいて、ころりとべつのひとを想っている友達面した嫌な子のことなんか知る由もない。
すべて私が私を追い詰めるさ中のことだった。
頭の中にもうひとり自分がいるみたいだ。
白石くんにもらった身に余る称賛を並べ、感情のコントロールもろくにできない、惨めな私を責めたてている。
に助けてもろてる。ええな。誰かをそこまで想うのも、想われんのも。
羨ましい。
励まされる。
気を遣うな、真面目過ぎる、いい子になるな。
品のいい声で紡がれた、きらきらと輝く綺麗な言葉を片っ端から取り上げて否定していく。
いい子になんかなっていない、全然なれていないのだ。
あたたかな声をかけて貰えるほどの人間じゃない。
幻滅されて、そんな子とは思わんかった、蔑まれて当然の、移ろいやすい心。ひとを好きになるのは大事なことのはずだ、だというになにも貫けていない。ないから激しい自己嫌悪に心臓を突かれる。
終わりにしたいのならいっそ隠さずぶち撒ければいい、簡単だろう、ものの一秒かけずしておしまいだ。
半ば八つ当たりじみた気持ちに押され言おうとし、やはり言えない。
家でひとり暗い考えを巡らせている内はそう思うのに、一緒にいると抗えぬ欲が顔を出す。
限りなく、底も見えず、好きというたったひとつの感情でなにも見えなくなってしまう。
もうちいさな子供のよう泣きわめきたかった。
頭は重く、胸の中心が痛い。
体中をかき回す暴流に翻弄され、言葉が途絶える。涙に腫れた目蓋が鬱陶しい、開閉を繰り返したところで水の膜は晴れず、ずるずると尾を引きずった。


賑々しい秋が行き、冷温満ちる冬が来た。
吐く息は白く、北風に晒される頬が凍りそうになる。
総仕上げやで、っちゅーか仕上がってない奴は職員室まで来い、冗談交じりで受験生の自覚を持たせようとする先生に応じる生徒の突っ込み、ぼやき、笑う声。
張り詰めた空気の中で期末テストと格闘し、来るべき高校生活の為の勉強も欠かさない。
指がかじかんで上手いこと上履きの踵を掴めない朝、ストーブのついていない教室の寒さ、あっという間に落ちていく太陽、下校途中の道は暗闇に包まれており、電灯が申し訳程度に路地を照らしていた。
冷えた息で勢いよく肺を膨らませると、鼻が痛んで目の裏が滲む。
身軽に済んだ夏が恋しくなって、厚ぼったいコートの襟を無意味に摘んでみたりする。
白石くんは変わらなかった。
いつも通りに微笑んで、いつも通りに鷹揚で、会話や画面上のやり取りも減ることはない。
テスト範囲を確認し合い、高校の志願書を取りに行った行かないでしばし言葉を交わしては、息抜きも必要やろ、あたたかい飲み物を片手にあの優しさを手渡してくれる。
わずかに上る湯気がじんわりと肌に馴染んでいった。
迷いカブトムシを、忍足くんはじめ元テニス部の面々が引くほど可愛がっていること、U-17日本代表に選ばれて合宿へ行ったこと、飼っている猫が窓を開けて脱走する癖を覚えたので阻止に必死なこと、また懲りもせず尋ねてみたら、クリスマスの予定はないこと。
話題は豊富と言ってもいいだろう、片想いの私にしてみると嬉しい限りだったが、必ずといっていいほど触れない場所がある。
好きな子のことだけは空白のままなのだ。
いつまで経っても一片さえこぼれてこない。
卒業まであと何日、というカウントが現実味を帯びてきても、クリスマスという恋するひとにとって特別な日が迫っても尚、情報が埋まらない。
話せることがない、本人の言葉を借りればそういうことなのだろうけれど、だったらもっと焦ったり思い悩んだりしても罰は当たらないし、私といていいのかと本格的に戸惑った。
普通、喜んでしまい自分が嫌になるところだが、あまりにも堂々たる態度且つ、ごく当たり前に構えているので逆に心配になってしまう。
耐えきれず、こわごわ尋ねる度、彼は眉を下げて笑った。
はい今のいらん気遣いや。
私やなくても遣うよ、こんなん。
自分とおんのがまずかったら最初っからいてないわ、よう考えなあかんで、
白く透けた吐息が揺れる。
一瞬、強い風が吹き抜けて肩を縮こまらせると、首元が寒そうでかなわん、マフラーを巻いていない私を差して穏やかに言い落した。
なんとなく恥ずかしくて手繰り寄せた襟で外気に触れる肌を隠したところ、俺の使うか、さらりと申し出てくる涼しげな目元がにくらしい、軽く睨んで辞退する。
アホ言わんといてよもう、ぜひお願いしますーなんて言えるわけないやん。
再び揺れる、息の色。
遠慮しなや、風邪引いたら受験に響くやろ。
などと口にしながら両手をポケットへと仕舞い込んだままなのは、どうということのない冗談だからだ。他愛ないひと言で大いに動揺する人間もいるのだと、一度と言わず何度でもよくよく思い知るべきである。
舞い上がった鼓動と恨めしさの浮かんだ眉間の二つを抱え、立てた襟に頬をうずめて、音を伴わず希う。
一番じゃなくて構わない。
クラスメイトとしてでなく、友達としてでなく、好きなひとの大事なひとになりたい。
マフラーの貸し借りなんて日常茶飯事で、寒いと呟いたら手を繋ぐことが許される、隣にいても心配にはならない、ほかの子を気にする必要だってない、特別な居場所になりたかった。
にじり寄る涙の気配を突き放し、泣くなと必死に言い聞かせる。
好きなのに切ない。
好きだからこそ、悲しい。
言葉にしたら解放されるのだろうか。なにかが変わるのだろうか。
コートと掌の下で噛みしめた唇がたわみ、得も言われぬ衝動で開きかけて擦れていく。
渇いたそこを湿らせる息を吸って、一拍。
でも。

「今日はもう帰んねやろ、途中まで一緒にいこ。暗いし寒いし、一人で帰らすの心配なんや」

嫌われたくない。
いつもいつも行き着く結論はひとつだった。
ひとつしかなかった。
口腔内の水気は失われ、見る見る内に枯れ萎えしぼむ。乾燥した空気にこすれてかさつく頬や鼻の頭が、やたらと染みて痛かった。
(嫌われたくない)
どうしても、それだけは。
もう高望みはしないから、叶わないとわかっているのに願い続けたりしないから、女の子として好きになってもらえなくたっていいから、絶対に、このひとだけには。


だから――言えない。





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